枝野幸男代表は29日の会見で、「支え合う社会へ―ポストコロナ社会と政治のあり方(『命と暮らしを守る政権構想』)」(私案)を発表しました。冒頭発言の全文は以下の通りです。


2020年5月29日(金)枝野幸男代表定例会見(冒頭発言部分)

■新型コロナウイルス感染症は何を突き付けたのか

 皆さん、お疲れ様でございます。
 ポストコロナ社会と政治のあり方について、私の現時点での考え方を「支え合う社会へ」と題して取りまとめましたので、発表させていただきます。
 記者の皆さんには、すでに資料をお配りさせていただいています。

 新型コロナウイルス感染症と、その影響による社会経済的危機への対応は、ここからが正念場だと考えております。
 そうした意味では、ポストコロナという表現は正確ではないかもしれません。しかし、この感染症が私たちに突きつけた問題点や、感染症によって明らかになった社会のあり方を明確に意識した、大局的な問題意識を欠いた中では、再びの感染拡大から命を守ること、社会経済的な影響から人々の暮らしを守ること、どちらも十分には実現することができないと考えております。
 ここまで残念ながら、政府の対応は大変後手に回ったものであり、また、対応策の対象規模も現実の実態と比べて小さすぎるものでありますが、こうしたことも、大局的な視点を持たないことに一つの要因があると考えております。
 したがって「ポストコロナ社会と政治のあり方」と題しておりますが、まさにそうした視点を持って、まずは当面のコロナ感染症対策についても、次の時代の社会像を見据えながら、大局的な観点を持って進めていく必要がある。したがってこの段階で世に問う必然性があると考えております。
 これから申し上げる考え方は、安倍政権に不信や不安を抱き、これに代わる政権を期待する皆さん、そして、自公政権に代わる政権を目指している幅広い皆さんと、表現ぶりや整理の仕方などは別として、その趣旨、本質部分においては共有されているものだと確信をしています。
 したがって、「支え合う社会へ」という「ポストコロナ社会と政治のあり方」についての考え方は、自公政権に代わる新しい政権、命と暮らしを守る政権の政権構想に向けた取りまとめに対する出発点であると考えております。

 これから発表する「支え合う社会へ」という考え方は、立憲民主党としても党内議論を経たものではありません。したがって党としての正式なオーソライズされた考え方ではありません。
 次の首班を目指すという責任を負っている最大野党の党首としての私枝野個人として、党内外の思いを共にする皆さんに対する呼びかけであり、提案であります。
 出発点、スタートラインであり、幅広い国民有権者の皆さんから多面的なご意見ご提案をいただき、総選挙の公示までに、政権構想として最終的に取りまとめたいと思っております。
 また、今日お示しをするのは、いわゆる理念に相当する部分であります。お示しをする理念を実現するための具体的な政策、すなわち手段やプロセスについては、すでに立憲民主党として、あるいは共同会派として、さらには幅広い野党で協力をして、取りまとめ、提起しているものが多々あると考えています。
 これらを整理しつつ、これも総選挙の公示までに、さらに具体的な政策、即ち手段やプロセスを膨らましてまいりたいと考えております。

■「小さすぎる行政」の脆弱さ

 では、中身に入りたいというふうに思います。
 新型コロナウイルス感染症は、現代社会と経済の、あるいは政治行政についての弱点、脆弱な部分や問題点を明確な形で突きつけたと思っています。
 一つには、政治行政における脆弱さであり、二つ目は社会経済という側面での脆弱さであり、最後に、社会のあり方という本質においての問題点であります
 資料の3ページ目になりますが、第一には、この間、「官から民へ」「民間でできることは民間へ」というスローガンとプロパガンダのもとで形づくられてきた、小さすぎる行政ということの脆弱さが明らかになったと思っています。
 ここで小さな政府と言わないのは、財政規模という意味での政府は、必ずしも小さいとは言えない。問題は財政規模ではなく、形式を問わず、公の業務を担う機関や人が、小さく少なすぎて脆弱であるということであります。
 一つにはマンパワーが決定的に不足をしていることが現実として突きつけられました。
 全国の多くの保健所は、相次ぐ相談の電話、明らかになる感染者の皆さん、それに対する対応、不眠不休の日々が続きました。
 一律10万円の給付は、各自治体の担当者の皆さんがこれまた不眠不休で対応されていますが、いまだにようやく申請書が届いた、あるいはそれすら届いていないという状況であります。
 持続化給付金は民間に丸投げをした結果、5月1日申請スタートの日に、ネットを通じて申請をしたにもかかわらず、何の音沙汰もないという方まで出ている状況であります。
 必要とされる行政事務を扱うべき組織が、マンパワーが決定的に不足をしているという現実を私たちは、見ざるを得ない状況に置かれています。
 二つ目は、司令塔の不明確さであります。
 いまだに省庁横断的な司令塔がわかりません。たしかに中心となるのは、厚生労働省であったかもしれませんが、いまや感染拡大防止のためにも、あらゆる省庁を通じて、それぞれできること、そして、それをやっていただくために、対応しなければならないこと、しかしながら、一昨日発表された第2次補正予算などをみても省庁横断的にしっかりとマネジメントされた政策になっているとは到底言えませんし、いまだに政府の中で、違った発信などがなされています。
 これは私自身が、安倍総理との党首会談の機会において、しっかりとした司令塔を作り、そこが発信を一元化する必要があると、自らの経験に基づいて申し上げたにもかかわらず、残念ながら作られていません。
 三つ目は、情報集約や事務処理の能力が決定的に欠けてしまっているということであります。
 この間、感染状況の把握、PCR検査がどれぐらい行われているのか、多くの皆さんがさまざまな情報を欲していたところでありますが、残念ながらこうした情報集約をするにあたって、保健所からの報告が、紙で、FAXでということがつい先日まで行われておりました。
 先ほど一律10万円の給付についての混乱が生じているのも、鳴り物入りで対象、利用範囲を拡大することにばかり一生懸命になってきたマイナンバー制度が、行政としての機能を発揮するためのベースすら作られていなかったということを明らかにしております。
 こうした状況が、残念ながらさまざまな対応策の後手に回ってきたと言わざるを得ないと思っています。
 私は、東日本大震災と原発事故を通じて、これらの脆弱性を痛感いたしました。
 それ以来、小さすぎる行政からの脱却を訴えてまいりましたが、全国規模の災害といえるこの新型コロナウイルス感染症によって,
いよいよこの小さすぎる行政、これまでの方針を大きく180度転換しなければならない、そのことの必要性は明確になったと考えております。

■「新自由主義的社会」の脆弱さ

 2ページ目に戻りますが、やはりこの間、私たちの社会は、自己責任が強調され、競争と効率性があおられる状況が続いてきました。
 いわゆる、かぎ括弧つきでありますが、新自由主義的な経済と社会を走ってきましたが、その脆弱性が今回明確になっています。
 一つは、生きていくために不可欠な広い意味でのケアサービスが非常に脆弱であるということを突きつけられました。徹底した効率を求められ、ギリギリの状態であった日本の医療は、この感染症という危機に直面をし、医療崩壊のギリギリのところに追い込まれました。
 さらには、高齢者の生きるために不可欠な介護サービス。子育てのために不可欠な保育、放課後児童クラブ、障がい者福祉などを含めて、こうした不可欠な広い意味でのケアサービスが、なんとか崩壊をせずに、いま成り立っている部分があるとすれば、それは個々の仕事に当たっておられる個人の使命感に支えられたものであります。システムとしてはすでに崩壊をしていると言って過言ではないというふうに思っています。
 二つ目は、この新型コロナウイルス感染症という、この社会の危機が、それぞれの個人の生活の危機に直結をしてしまうという脆弱さを、私たちの社会は抱えています。
 この間、急激に増えた非正規雇用、不安定雇用、こうした皆さんがある意味で容易に安易に仕事を切られる、仕事を失ってしまう。その中には、仕事を失うことが、例えば寮から出されるなど、家を失うということにつながる。すぐにホームレスに陥ってしまうという、非常に脆弱な構造があります。
 背景としては、この間、やはり急激に増えた貯蓄ゼロ世帯というものが、危機の発生に伴い、収入生業に困難が生じたとき、生活そのものが成り立たなくなる、そういう構造を余儀なくされる方の比率を大幅に増やしてしまっていると考えています。
 三つ目は、目先の効率性重視が引き起こした社会経済構造の脆弱さであります。
 過度の一極集中、これがやはり人口が多い、人口集積地において、クラスターの発生、そして感染拡大、広がりというリスクを高めています。
 行き過ぎた国際分業の結果として、マスクの不足というものが象徴でありますけれども、生きる上で命を守る上で不可欠なものが、輸入に頼らざるを得ないということの中で、その不足というものをわれわれは突きつけられました。
 今回、この段階までは、まだ食料やエネルギーというところまで至っていませんが、この新型コロナウイルス感染症についても、世界的な蔓延が継続をし、その事態が深刻化すれば、例えば食料輸入が困難になる、こうした事態の可能性もあります。
 もう一つ効率性重視がもたらしたのは、中小企業に依存をしながら、その中小企業の経営基盤があまりにも脆弱であるということであります。インバウンド、海外からの観光客、それをしかし支える多くの生業は、中小零細の観光関連産業あるいは運輸関連産業の皆さんが支えていますが、その多くが経営危機の中にあります。
 日本のサプライチェーンを支えている製造業の下請け孫請けも、いま多くが廃業倒産の危機にあります。
 仮に、大きな企業が経営を維持することができても、サプライチェーンを支える中小零細企業が、倒れてしまったり、あるいは観光の産業のきめの細かい部分を担っていた中小零細企業が倒れてしまっては、元の状態に復帰することは不可能であります。
 これは、やはり中小零細企業にコスト、効率を求めすぎて、そこにまったくの余力のない状況の中で日本の経済が回ってきたということの結果であるというふうに思っています。
 こうした、ある意味で目に見える、個々具体的な脆弱さとともに社会全体の物の考え方という面で、われわれは新しい問題意識を突き付けられているというふうに思っています。

■ポストコロナ社会の理念

 今回、私たちは、感染症から自分や大切な人の命を守る、いかに感染をしないかということのために、それぞれの皆さんができる努力をされたと思います。そして、一人ひとりが自分や大切な人を守るために努力をしたことが、結果的に社会全体の感染拡大を防ぐということに繋がります。まさに社会は、互いを支え合い、助け合いの中でできているということを私たちは再認識したと思っています。
 私は「情けは人のためならず」という格言をよく使います。「誰か人のために」ではなくて、自分のためにすることが結果的に人のためになる、人のためにすることが、と思ってすることが結局は自分のためになるというのが、社会の本質であるということを多くの皆さんが気づかれたことと思います。
 一方で、自己責任っていうような空理空論であるということも多くの皆さんが気づかれたのではないでしょうか。
 ウイルスとの関係では、ウイルスは人を選びません。
 どんなにお金があっても、例えば社会的地位などがあったとしても、世の中に感染が蔓延している状況では、自分の命を守ることはできません。
 自分の努力だけで感染を絶対にしない、100%できないかと言われれば、それは経済的にべらぼうな余裕があって、一日中365日人と接しないという暮らし方はありうるのかもしれませんが、しかしそれは社会的に人としての活動を断念するということです。
 人と接触しながら、なおかつ感染を避けるということのためには自分の力だけではできません。
 自己責任論というのは、実は正しくないんだということを、この感染症は私たちに突きつけていると思っています。
 お互いに支え合って、自分の力だけではなく、お互いに自分のために、それが結局は社会、周りの人のためになるということの、同時に、しかし、そのために、個々人が負うリスクとコストが偏在をしているということも、今回私たちは認識をさせられました。
 危機が発生するリスク、これは典型的なのは、感染症の治療にあたっている医療従事者の皆さん、圧倒的に感染のリスクが高い中で、でも、感染を蔓延、拡大をさせないために、命を守るために、頑張って働いていただいております。
 介護であるとか、保育であるとか、放課後児童クラブであるとか、障がい者福祉であるとか、さらには、例えば運送、あるいは交通、さまざまな分野で、リモートワークで自宅にいれば相対的にリスクは小さいけれども、でもそれでは社会が成り立たなくなる、いわゆるエッセンシャルワーカーという言葉が最近流行っていますが、それぞれの社会的に担っている仕事・役割ごとに、感染のリスクには大きな違いがあります。
 また、社会を危機から守るためのコストの負担も大きな違いがあります。
 観光業であるとか、飲食店など、この間ほぼ収入がゼロになり、さらには例えば観光業などについては、特にインバウンドについてはこれから相当長期にわたって、収入減ということを余儀なくされる。
 それはまさに社会全体に感染を蔓延させないために負っていただく負担、コストでありますが、一方でこうした状況の中でも、収入が増えているお仕事も一部にはいらっしゃいます。
 しかしみんなが、それぞれが、感染拡大防止のためにできることをやっていただかなければ、感染から命を守ることはできないということの中で、このリスクの違いやコスト負担の違いに応じて、それを再分配しなければ、リスクの高い仕事に就いてらっしゃる方、あるいは負担の大きな生業に就いてらっしゃる方、耐えきれなくなってしまいます。
 そして、そうした皆さんがそのコストやリスクに耐えていただいているからこそ、多くの皆さんの感染のリスクが小さくなっている。だとすれば、そうしたリスクを、コストを再分配する、分かち合う、その分かち合う仕事をすることができるのは政治だけであるというふうに思っています。

■ポストコロナの社会・経済・政治の方向性

 したがって、最後5ページになりますが、これから作っていかなければならない社会は、これまでの過度な自己責任論の社会から脱却して、互いに支え合う社会を作っていかなければなりません。
 自己責任とか競争とか効率性とかという、こうした目先のことに拘泥する経済から、未来志向のリスクの小さな分散型経済へと転換をしていかなければなりません。
 そして三つ目は、行き過ぎた小さな行政、そしてそれに対する不信というものを脱却させる、信頼できる、機能する政府を作り上げていかなければならないと思っております。
 この互いに支え合う社会、未来志向の分散型経済、信頼できる、機能する政府というものをしっかりと作り上げていく、そうした政権を自公政権に変わって作り上げていく。
 この新型コロナウイルス感染症危機によって、多くの皆さんの命が犠牲になりました。あるいは、多くの皆さんの暮らし生業が大変困難な状況になりました。
 そうした困難な状況にある皆さんが、1日も早く脱却をし、社会全体が安心感を持って、明日への希望を抱いて暮らしていける、新しい時代が切り上げられると、私は確信をしているところであります。
 こうした考え方をたたき台に、幅広い皆さんのご意見ご議論をいただいて、自公政権に代わる政権を樹立したいと考えております。

 私からは以上です。