2018年7月30日
182日間の初国会を振り返る──「史上最小の野党第一党」は政治を変えられるか?
2018年1月22日に召集された通常国会が終わった。この182日間は、立憲民主党にとっての初めての国会だった。衆議院における野党第一党とはいえ、その規模は史上最小。国会論戦の前提である公文書管理や提出されるデータの根拠さえ揺らぐ中、立憲民主党は奮闘した。
1月の代表質問で、立憲民主党代表の枝野幸男は「与党ではなく国民に呼びかける」として代表質問を行ない、最終日の7月20日には、戦後の衆議院においての記録上で史上最長ともいわれる2時間43分の演説を行なった。それは永田町の中での与野党対決という、いわば「コップの中の嵐」を超えた、国民へのメッセージだった。「史上最小の野党第一党」である立憲民主党にとっては、国民とどう連携し、現在の政治に代わる新たなビジョンを提示するのか、それが今後の課題になる。
重要法案を提出しても審議さえままならない。ひとつひとつのトピックについては与党への不支持が高まっても、それは野党への支持にはつながらないーー。この状況を打破する方法は? 国民の政治不信を克服するには? 猛暑が続く国会最終盤、立憲民主党の国会対策委員長代理をつとめる山内康一に緊急インタビューした。そこで語られたのは、「政策コミュニケーション」というキーワードと、日本のマニフェストづくりに関する新たな展望だったーー。
立憲民主党の初国会、182日間を振り返る
──まず国会対策委員会、いわゆる「国対」の仕事について聞かせてください。「コクタイ」と聞いてもわからない人も多いと思うので。
わたしは現在、立憲民主党の「衆議院国会対策委員長代理」という役職を務めています。国対がどういうことをしているかというと、国会運営に関する党内外との調整ですね。たとえば、ある法案をどのタイミングで審議するか、与党とも話し合いながらスケジュールを決めたり、誰が答弁に立つかを決めたり、政策内容について政策の専門チームと打ち合わせたりしています。
いわゆる舞台裏の事務的な仕事なので、一般の方からすればちょっとわかりにくいかもしれません。政党の中では「体育会系」と呼ばれることもある部門です(笑)。
──今回の国会は2017年10月に誕生したばかりの立憲民主党にとって、初めての通常国会でした。立憲民主党は衆議院の野党第一党でありながら、その規模は史上最小です。そうした立場から今国会を振り返り、思うところはありますか?
野党の役割というのはざっくりいうと二つ。ひとつは、政府の誤りを正していく、つまり行政をチェックする機能。そしてもうひとつは、現在の政府が実現している社会のあり方とは違う構想、現状へのオルタナティブになりえる選択肢を示すことです。
まずひとつめの役割でいえば、大きかったのは裁量労働制のデータ捏造の問題。国民にとって危険な運用もされかねない「働き方改革」の関連法は残念ながら可決成立してしまいましたが、その中でも過労死に直結しかねない「裁量労働制」についてのデータが捏造されていたことが明らかになった。政府の「裁量労働制をやるほうがこれまでより残業が少なくなる」という主張の根拠となるデータが、完全にデタラメで、捏造されたものだった。
これは立憲民主党の岡本あき子さんという新人議員が、本当に細かく報告書を読み込んで、いろいろなデータを細かくチェックしていくなかで、どうも政府の出しているデータの根拠は怪しい、と突き止めたんです。ファクトを精査し、追及していく中で、政府はデータの捏造を認めて謝罪し、働き方改革からは裁量労働制の部分が外されました。
もうひとつは、7月22日まで国会を延長させたこと。与党側は早く国会を切り上げたかったようですが、しかし公文書管理やデータの捏造を放置したまま、いくつもの危険な法案をすんなりと通すわけにはいかない。30日間の会期延長に持ち込み、徹底的に議論しようとしました。その間、西日本では豪雨災害が起こり、被災地への支援として立憲民主党は補正予算を組むことも提案しましたが、政府はカジノ法案のほうを優先し…ここはわたしたちの力が及ばず、本当に悔しかったです。
──チェック機能という意味では野党としての役割を果たした、と。では、もうひとつの役割、つまり現在の政治のあり方とは違う、代替案となる選択肢の提示という意味ではどうでしたか? ともすれば「野党は批判ばかりをしている」という印象を持たれがちです。
あまり知られていないですが、今国会で立憲民主党は44本の議員立法の法案を提出しました。他の野党との共同提出や、超党派的に自民党とも一緒になって提出した法案もあります。中でも象徴的だったのは「原発ゼロ基本法案」ですが、他にも「児童虐待防止法案」や「性暴力被害者支援法案」など、多くの重要な法案を提出しています。
でも、わたしたちの動きが朝や夕方のニュースで流れるのは、おそらく30秒や1分間程度。だからこちらの提案機能の方はあまり知られていない。この部分をどうやってメディアに報道してもらって国民に知ってもらうかというのは、わたしたちも考えていかなくてはいけないですね。
──今国会で非常に衝撃的だったのは、財務省による組織的な公文書の改ざんです。
森友学園や加計学園の問題も、単なるスキャンダルではない、国会での審議の根底を揺るがす問題です。文書が改ざんされて、局長が嘘をつき、大臣はまともに答えない。審議の前提が壊れている。この問題を放置したままでは、まともな議論は不可能なので、仕方なく議論を遅らせました。「審議拒否」というネガティブ・ワードで語られることもありますが、わたしたちは真相を解明したい、疑惑を明らかにしたいのであって、審議を拒否しているのではない。きちんと審議ができるように条件をまず整えましょう、というのが一貫したスタンスです。
「コップの中の嵐」を超えるために
──国会の中での与野党の攻防の背景について説明してもらいましたが、日々の生活を送る中で頻繁にニュースを追う余裕のない国民からすれば、どうしても永田町の内部抗争、いわば「コップの中の嵐」という印象もあるかと思います。立憲民主党の誕生の経緯を考えれば、これまでの政治に無関心だった層からの期待もあります。そういう意味で、永田町の外側にいる国民へのアプローチとしては、なにか意図していますか?
この国会が始まった1月、枝野さんの代表質問は、与党への批判というよりは、まるで総理大臣が行う所信表明演説で、あれは明確に国民へのメッセージでした。日本の議会では異例のことでしたが、海外ではそうしたタイプの議会もあります。ただ、より本質的なのは、立憲民主党は国会と並行しながら、永田町の外側にオープンなコミュニケーションの場を設け、「国会の外側」へと積極的にアプローチする方法をとっていた、ということです。
象徴的だったのは、全国で20ヶ所以上のタウンミーティングを経て提出された「原発ゼロ基本法案」のプロセスです。いま立憲民主党はこれをモデルに、農林水産業や地方政策といった様々な分野でこうしたボトムアップ型の政策づくりに挑戦しようとしています。大枠の問題提起をするのは政治の側だけど、ディティールについては専門家や実務家、市民を交えて議論していく。ここは立憲民主党らしさだと思います。
──立憲民主党がそうしたアプローチをとる理由は?
立憲民主党が掲げる「まっとうな政治」という言葉は、これまで永田町の内側論理だけでことが進み、ともすれば国民を置き去りにした政治が行われてきたことへのカウンターですが、その中身をリアルに論じたいんです。これまで政治を敬遠してしまっている国民も、みんななんらかの問題の当事者なはず。原発の問題や過労死の問題、非正規雇用の問題、性暴力被害者への支援やLGBTの権利の問題など、問題を具体化して呼びかけていくことで、「自分には政治なんて関係ない」と感じている人たちアプローチしていく。国民ひとりひとりの抱える問題意識に、大胆に、丁寧にアプローチしていくのがわたしたちのやり方です。
──「働き方改革」やカジノ法、豪雨災害時の「空白の66時間」…といった個別のトピックについては不支持率が高いにもかかわらず、全体でみれば与党の支持率が高い。そのあたりの空気感については?
不人気な政策ばかりなのに支持率が高い、というのは安倍政権についてよく言われる不思議のひとつです。しかし、これはさっき話した、野党第一党である立憲民主党が、リアルな代替案を国民に伝えきれていない、という点の裏返しです。わたしが思うに、現在の政治のあり方への支持は、おそらくは消極的なものです。だからわたしたちは国会の内外で、現在の政治とは違うあり方をリアルに、ポジティブに発信していかなければいけない。
──その時に念頭にある方法論はどのようなものですか?
まず何より、いい政策を打ち出すこと。しかしより重要なのは、その政策の作成や発信のプロセスにおいて、多くの市民や専門家、メディアとつながっていくことです。そうやって世論を喚起して、様々な政策分野における争点を提案していく。この点、やり方は多層的です。
街頭演説やタウンミーティングなんていうのは、ギリシャ時代から続く最古の民意形成のツールですから(笑)。そこに新聞やテレビといった20世紀のメディアが加わり、最近ではSNSによって双方向の意見交換が可能になっています。どんどん新しいメディアができていっているけれど、それは必ずしも古いメディアが無効化することを意味しない。すべては重層的で、民意へのアプローチも総合的に考えていく必要があります。わたしは仮に「政策コミュニケーション」と呼んでいます。
鍵を握るのは「政策コミュニケーション」
──「政策コミュニケーション」について詳しく聞かせてください。
わたしたちは双方向のコミュニケーションを重視する、ということです。広報というのは政党が一方的に発信するものなので、そこが一番の違いです。たとえばかつての自民党は日本全国津々浦々の国民の声を幅広く聞く機能を持っていましたが、働き方改革やカジノの例をみてもわかるように、現在では少数の利益団体の意見を露骨に反映させるだけになっています。
こういう時代に、立憲民主党は国民の現場の声をいち早く察知し、問題提起して世論喚起していくような仕組みをもつべきだと思う。話し合って、お互いの意見のいい部分を見つけ、それから弱い立場の人の意見、少数意見も組み入れる。そういうコミュニケーションが必要なんじゃないかな。わたしたちが狭い永田町の世界を抜け出して、国民の生活の現場に飛び込んでいく。そういうイメージを持っています。
──その場合、単なる人気取りやポピュリズムに陥らないために、政党として重視すべきことはどんな部分でしょうか?
たとえば、いい政策でないのに支持されるものはたくさんある。専門家や現場で働く人たちからの評判はすごく低い政策でも、国民からは支持されることもあるんです。たとえば英語教育を小学校から行う、という政策は人気が高いですが、現状、小学校教諭で英語教育の専門家というのは、ほとんどいません。本気で行うならば、予算をつけ、人材育成を行い、10年後、20年後の日本の成長戦略を視野に入れて取り組むべきです。しかし、エビデンスも吟味せず、準備不足で走り出してしまえば、現場にばかり負担がいってしまう。
10年たって後悔しない良質な政策を作るためには、たとえ世論の支持がある政策でも、政党の側は果敢に問題提起して、専門家も含めて徹底的に議論していかないといけません。フェイク・ニュースが政治を左右しかねない時代ですから、ファクトと議論の積み重ねを重視したい。
アベノミクスの「次」を構想する
──個別の政策論争を超えて、オルタナティブな社会の構想と提示という意味で、重要視していることはありますか?
個人的に関心があるのは、新しい社会モデルの提示、そしてそれを国民と共有する物語、つまりストーリーの創出です。最近ではあまりうまくいっていないので、安倍総理本人も言わなくなりましたが、少なくとも5年前には「アベノミクス」は、ある種の物語として機能していた。
株価も上がり、円安誘導で輸出企業も儲かった。若い人の失業率の改善は、労働力人口が減ったことが主な原因ですが、それも含めて安倍総理に任せておけばなんとなく豊かになれるかな、という雰囲気があった。ただ、データの中身をみると格差も広がっているし、子どもの貧困も深刻になっている。最近では「成長戦略の要はカジノです」という無茶苦茶なところまできた。アベノミクスのモデルは信用されなくなってきてはいるものの、モデル・チェンジが追いついていないんです。
──さきほどの政策コミュニケーションの話とつなげると、どういう意味を持ちますか?
新しいモデルをつくる責任がわたしたち立憲民主党にはあります。しかし、それを一方的に提案するのではなくて、国民と一緒につくっていく。それが政策コミュニケーションの積み重ねの先にあるものです。各分野で最先端の政策論議をやりながら、それを統一的なモデルに鍛え上げ、国民と共有できるストーリーにしていく。とにかく、アベノミクスが破綻した後の復興プランを現在のうちに練っておかなくてはならない。
日本のマニフェストづくりを変える
──政権構想といっても、核になるのは政策です。マニフェストのあり方についてはどう考えていますか?
たとえば、去年の突然の総選挙は「国難突破解散」でした。「北朝鮮の危機があるから解散する」と、あの理屈をすんなり受け入れられる国民は少ないと思います。選挙直前にいきなり「教育の無償化」ということも言い出して、選挙後になって自民党内の議論もまとまっていなかったことが報道されました。
こんな状態では投票率が低いのは当たり前です。だけど、立憲民主党はそれを受け身で批判するんじゃなくて、次の選挙ではわたしたちこそが争点を示し、積極的に国民の支持を訴えていかなければいけない。
党内での意見のまとまりは当然として、いま国民がどんな部分に関心があり、なにが問われるべき争点なのかを、双方向のやりとりを積み重ねて準備しておく必要があります。つまり政策コミュニケーションの先には、マニフェストづくりのオープン化がある。これがうまくいけば、立憲民主党のマニフェストは、オール・ジャパンの叡智を結集したものになるはずです。
──現状、日本のマニフェストはどのように作られていますか?
政治家と専門家によって作られることがほとんどです。しかも日本の場合は、どの政党もマニフェストを直前まで発表しないでしょ? あれは他の政党にマネされるのが嫌だからです(笑)。でも、結果としてよりよい政策が実現するのならば、どこが本家でどこがマネしたとかは関係なく、歓迎すべきものでしょう。もちろん公約やマニフェストがきちんと守られるという前提のもとですが、選挙で与野党で合意形成ができているから、その政策についてはすぐにやれると理解すればいい。選挙は民主主義のプロセスのとても大事なプロセスです。選挙までにマニフェストがオープンに、参加型で作られ、いろんな意見が反映されていることがポイントです。
──そうした意味で、ロール・モデルになるような例はありますか?
たとえばイギリス労働党では1年半から2年くらいかけてマニフェストを作る。党の中にマニフェストを作る委員会を組織して、それは何層も構造があって、党内でその土台を作る。その一旦つくったものを、オープンにして、全国の党員、関係団体、専門家集団、地方組織、の意見をきく。少しずつ修正していって、やっと3回目に最終稿ができて、党員みんなで話し合ったものに合意する。そのプロセスを「ローリング・プラン」と言います。将来的には立憲民主党もこうしたイギリス労働的なモデルでマニフェストをつくっていければと思う。ちなみに、保守党はイギリスでも幹部だけでチャチャっと作っています。
「史上最小の野党第一党」は政治を変えられるか?
──立憲民主党はパートナーズ制度や、政策コミュニケーションといった挑戦を通じて、現在の政治を変えようとしています。しかし、これはなかなか難しい挑戦だとも感じます。
確かにクリアすべき課題はたくさんあります。でも、わたしは可能だと思う。どんな人も自分の専門分野をもっている。市民一人ひとりにはトータルな政策論争は無理でも、なにかの現場で仕事をしていれば、少なくともその現場のニーズはわかる。介護の分野、教育の分野、地域創生の分野…どの分野でも、その道の専門家や現場の人たちからみて、ちゃんとしたものだと思えるものを作っていく。その積み重ねはなにより、この政党だったら政権を任せられる、という信頼に結びつくはずです。パートナーズ制度やタウンミーティングの真価はそこにあるんじゃないかと思っています。
──立憲民主党をこんな政党にしていきたい、というビジョンがあれば聞かせてください。
まずすべての議員がそれぞれの専門分野をもつ。そして、こういう社会を目指すんだ、という大きなストーリーをみんなで共有しつつも、それぞれの個別政策に落とし込んだときに、各分野の政策がしっかり作り込まれているような政党にならなければいけない。立憲民主党は今までわたしが経験した中でも、最もまとまりのいい政党だと思います。
──最後に、山内さんが10、20年後にこういった日本になっていて欲しい、というビジョンを教えてください。
個人的な関心でいえば、子どもの貧困です。どんな境遇に生まれた子どもでも、未来への希望がもてる社会になって欲しい。それから、みんなが安心して暮らせる社会。老後の不安、病気になったときの不安、災害があったときの不安、そういう誰もが抱えるリスクへのセーフティ・ネットがちゃんとしている社会。
それから、わたしはもともと難民支援の国際NGOで働いていた。その経験から言えば、国際社会の平和に貢献できる国になっていて欲しい。北東アジアにはまだ時代遅れの冷戦構造が残っています。日本こそがイニシアティブを発揮して、この地域の平和構築に関して積極的な責任を果たしていくようにしたいです。
山内康一 KOICHI YAMAUCHI
1973年福岡県筑紫野市生まれ。衆議院議員(4期、福岡3区)。1996年に国際基督教大学教養学部を卒業し、国際協力事業団 (JICA)に就職。2000年からNPO法人ピースウィンズ・ジャパン勤務。2004年にロンドン大学教育研究所で修士課程を修了。2005年から衆議院議員。2015年から北海道大学公共政策大学院非常勤講師。2017年10月、旗揚げ直後の立憲民主党に参加。現在は立憲民主党の国会対策委員長代理を務める。