元「モーニング娘。」の市井紗耶香が、7月の参院選に立候補した。記者会見後のニュースに並んだのは「タレント候補」の文字。でも市井には、「4児のママとして、子どもたちにより良い社会を残したい」という強い思いがある。
市井は「モーニング娘。」を卒業後に結婚し、20歳で長女を出産。その後離婚と再婚を経て、4人の子どもを育てている。待機児童問題や保育士の不足、児童手当や病児保育の不十分さなど制度の課題だけでなく、子育てに唯一の正解があるかのような社会からのプレッシャーなど、「働きながら子どもを育てることは本当に大変」と実感してきた。
市井はこれまでも子育て世代向けの媒体で、子育てを取り巻く環境の課題について発信してきた。ただ、その問題意識は「政治までは届かない」。「政治の世界に現役で育児中の親が少なすぎるのでは?」と思うようになった。
市井の長女は今年、高校受験を迎え一人立ちが近づいてきた。それでもこれから小6の次女、小1の長男、2歳の三女と、20年近くは育児が続く。「わたしなら、幅広い年代の親御さんたちの声を届けられると思う」と力強く語る市井に、その思いを聞いた。
卒業後の長女の出産を機に、初めて政治に関心を持った
——自己紹介をお願いします。
市井紗耶香です。「モーニング娘。」を卒業後は結婚、出産、離婚を経て、今は2歳から14歳までの4人の子どもを育てています。仕事は女優やモデル、ラジオのパーソナリティなどをしてきました。今回、子育て真っ最中の親の一人として、多くの子どもたちにより良い社会を残したい、と立候補を決めました。
——市井さんが、政治に関心を持つようになったきっかけを教えてください。
15年前、20歳で長女を出産した時です。自分の命よりも大切に思えるこの子を、何があっても守っていこう、という気持ちが芽生えたんです。それで今まで漠然と見ていたニュースの内容に、問題意識が出るようになりました。この子だけじゃなくて、次の世代を担うたくさんの子どもたちのために、何かできることはないかって。
——その後、関心が深まった出来事はありましたか?
東日本大震災です。当時は千葉県船橋市に住んでいて、大きな揺れを経験しました。ちょうど長女の幼稚園の卒園式の前日で、式典が中止になるなど「日常」がなくなってしまいました。それまで原子力発電所について詳しく知らなかったんです。だから爆発の映像を見て衝撃を受けてから、飛び交う情報に追いつくのも大変でした。
このままどうなっちゃうんだろう、空気吸ってもダメなの、雨に濡れてもダメなの、と不安でした。それから非常事態の中でいろいろと原発や政治について勉強し、子どもを持つ親として、「原発ゼロ」にしたいと思うようになったんです。
心の叫びは誰かが届けないと、変化は起きない
——改めて、今回立候補した理由を聞かせてください。
育児に関する問題が、子育て世代が望むようなスピードで解決されていないのがとても残念だし、もどかしさを感じていたからです。わたし自身、雑誌で子育てについての座談会をしたり、パーソナリティを務めていたラジオ番組の企画で子育て世代向けの情報、課題の発信をしたりしてきました。そういう場所や親どうしの情報交換では、本当はこういうことが必要だよね、あったらいいよね、というような感覚は共有されているんです。
でも、それが法律や制度にスピーディーに反映されていかない。もっと国会に現役で子育てをしている人たちが参加して、今まさに困っていることを発信する必要があるんです。
——とはいえ、今回の挑戦に迷いはありませんでしたか?
もちろんありましたし、家族と何回も相談しました。悩んでいる中で、3年ほど前に「保育園落ちた日本死ね」のブログが国会で大きく取り上げられたのを思い出したんです。言葉の使い方の是非にはいろんな意見があるかもしれませんが、働く親としての心の叫びはみなさん同じだろうな、と当時共感しました。
心の叫びは誰かが届けないと、変化は起きません。日本では芸能人が政治的な意見を言うと、ご法度を侵したみたいにバッシングされます。でも自分の生活の感覚から声を上げられなかったら、誰かが声を上げるのを待っていたら、社会は変わりません。
そんな中で、立憲民主党の候補者たちはいろんな分野の専門家や当事者の人たちがいて、まさに虹色、多様性が実現されていると思いました。だからここなら、子育て当事者としてのわたしの声を上げていける、と確信しました。
負けず嫌いで、ハングリー精神旺盛なのは昔から
——子どものころについて、聞かせてください。
6歳上の姉が大好きで、ずっとくっつき回って活発に遊びまわっていました。千葉県船橋市の団地の1階に住んでいたのですが、玄関を通らずベランダから直接外に出て、ビワの木に登ったり。歌うのも大好きで、吉田美和さんの大ファンでした。
昔から、ハングリー精神が旺盛で、負けず嫌いだったと思います。中学3年生の時にモーニング娘。としてデビューしたのですが、それまでいろいろなオーディションに参加しては落選を繰り返し、悔しくて何度も挑戦していました。もともと「モーニング娘。」が素敵だな、と惹かれたのも、CD5万枚を手売りするメンバーの努力している姿に、感動したからなんです。
わたしが加入した時はまだ爆発的なブレイクの前で、握手会をしたりライブハウスで上演したりと、小さな積み重ねは結構ハードでした。でも、とても楽しい時間でしたね。
病児保育に待機児童。4人分経験したから分かる苦労
——市井さん自身の経験から、どんな子育て政策が必要だと考えていますか?
まずは病児保育の充実です。わたし自身、子どもが通っている保育園や学校から電話が来ると、毎回ひやっとします。病気になったか、問題を起こしたかどっちかだなって。それで風邪や発熱だと本当にもう大変で、病児保育を探して翌朝8時まで見つからなかったり、見つかったとしても家の最寄駅から何駅も離れた所まで熱が出た子どもを連れていくことになったり。
都市部では病児保育を支援する団体の施設が増えてきたのは事実ですが、子育て家庭の実感からすると、まったく足りていないのが現状です。住んでいる場所にかかわらず、国全体で解決しなければならない問題です。
——待機児童の壁に直面したこともあるんですよね。
わたしは再婚して都内へ引っ越したのですが、そこで待機児童の壁に2度ぶち当たって、どうしたら改善されるのか、と考えさせられました。
一度目は、3人目の子の時です。保育園に入れなかったので、わたしが1年間は思うように仕事を出来ず、翌年幼稚園に入れました。二度目は4番目の子の時。2月の段階で不合格の通知が来たのですが、新年度開始の1週間前に突然、1枠空いたと区から連絡があって。靴下に名前を書いたり、スモックを作ったり、本当に大急ぎで準備しました。
その時、こんなに先の計画が立てられないようでは、企業でフルタイムで働いている人は、フリーランスのわたしより、もっと大変だろうなと感じました。子どもが小さい数年間だけのこと、と思われるかもしれないけれど、働く親のキャリアを考えれば本当に深刻な問題。社会全体で議論していくべき課題だと思います。
同性婚、選択的夫婦別姓、特別養子縁組――多様な「家族」のあり方が尊重される社会を実現したい
——市井さんのご実家は、シングル家庭だったと伺いました。多様な「家族」のあり方について、どう考えていますか?
両親はわたしが10歳の頃に離婚しました。母はとても元気な、ちゃきちゃきした人で、離婚してから生活が苦しくなったので、昼夜掛け持ちで仕事をしながら、わたしたち姉妹2人を育ててくれました。
わたしはデビューから2年間は仕事ばかりだったので、ほとんど家にいなかったのですが、その間に母から「再婚するよ~」ってあっけらかんと電話があって。再婚相手は母の19歳下。わたしと10歳違うだけだったので、父とは呼びにくいな、と複雑な思いでした。反抗していた時期もありましたね。
あれから20年近く経って、わたしも結婚、出産、離婚、と母と同じ道を歩んでいます。「家族」にはいろいろな形があって、「多様性」という言葉をもってしても足りないくらい、一つ一つが違うなと思います。
画一的なかたちの「家族」というものを押し付けられる時代は終わりました。いろいろな「家族」のあり方を尊重できるようになるために、同性カップルも法の下で結婚できるようにしよう、特別養子縁組をしやすくしよう、選択的夫婦別姓を実現しよう、という動きは進めていくべきだと思います。
——今の子育て世代は、社会から押し付けられる「あるべき母親像」に悩むことも多いですよね。
そうですね。子育てに正解があるかのような社会からのプレッシャーや、こうでなければいけないという母親像の押し付け、子育ての負担が母親に集中しがちな現実を変えたいと思っています。
わたし自身、1人目を育てている時に感じた孤独を思い返すと、虐待の事件なんかを見ても、お母さんの心の叫びが聞こえるようで。母乳が出なかったのでミルクで育てたんですが、「なんで子どもを産んだのに、母親なのに母乳が出ないんだろう」と悩んでいた時期がありました。哺乳瓶を洗って消毒して、を延々と繰り返していた時に、ふと涙が出ることもありました。