2019年6月4日
「まだ巡り合っていない、苦しむ人たちの力になりたい」——DV被害弁護の第一人者が、新潟で踏み出した新たな一歩
うち越さくらは、家庭内暴力(DV)被害弁護の第一人者だ。20年間、暴力を受けた女性や子どもの法律相談を受けてきた。
女性差別の解消に対しても、弁護士の立場から積極的に関わってきた。2015年、世間の注目を集めた最高裁での選択的夫婦別姓を求める訴訟では、原告団の中核にいた。2018年、多くの人を驚かせ、落胆させた東京医科大学の医学部入試における女子学生差別の後には、元受験生の代理人として損害賠償を請求する弁護団を立ち上げた。
「社会の矛盾は、もっとも弱い立場の人たちに襲いかかる」。壮絶な体験をした女性や子どもたちに長年向き合ってきたうち越は、被害者に寄り添う中で法律や制度の不備を常々感じてきた。
「弁護士の自分に届く声の手前には、さらに多くの声があるはず。苦しんでいる人たちに手を差し伸べられる法律、制度をつくりたい」。「弁護士は天職」とまで言ううち越が今夏、国政に挑戦する。
舞台は新潟。従来、女性国会議員を野党から多く輩出してきた土地柄だ。その野党が今回、うち越を支えるために共闘する。新潟県は全国共通の課題である人口減少の問題を抱え、また原子力発電所の立地自治体でもあるなど、課題は山積する。多くの期待を背負って政治活動を始めたうち越に、ライフストーリーと抱負を聞いた。
離婚、DV、セクハラ、ヘイトスピーチ。差別をそのままにしないため、弁護を続けてきた
——自己紹介をお願いします。
うち越さくらです。20年近く、弁護士としてDV(ドメスティック・バイオレンス)被害を中心に、セクシュアル・ハラスメント被害、ヘイトスピーチ被害、離婚の案件を扱ってきました。2015年にあった最高裁での夫婦別姓訴訟では事務局長として、現在進行中の夫婦別姓訴訟では副団長として、弁護団に参加しています。昨年の東京医科大学医学部入試における女性差別に対しては弁護団をつくって訴訟を提起し、元女性受験生の救済を求めているほか、世論の喚起にも努めました。
児童相談所の嘱託弁護士としては、現場の児童福祉司さんたちと一緒に、虐待を受けた子どもを救済する手続もとってきました。虐待や暴力の被害、人種や性別による差別をそのままにしたくない、一貫してそういう気持ちで活動しています。
広大な北海道で、読書と勉強に熱中した“のんびりやさん”
——幼少期は北海道で過ごされたそうですが、どんなお子さんだったか教えてください。
とにかくのんびりした子どもでしたね。ボケキャラというのかな、姉御肌の友達がいつも手を引いてくれて。三人姉妹の末っ子で、父母にも姉たちにも可愛がられました。北海道の広い原野で、姉たちや友達とそり遊びやたこあげなどをして遊びました。
——趣味は読書と聞いています。小さい頃からよく本を読んでいたんですか?
父はいわゆる高度成長期の猛烈サラリーマン。母は専業主婦で、娘たちには職業を持ってキャリアを積みなさい、というスタンスでした。小さなころから本をふんだんに与えてくれました。
だからか、読書感想文も大好きでしたね。感想文では飽き足らず、本のあらすじを友達に聞かせて、しかも「項羽と劉邦」のように登場人物が多ければ多いほど、生き生きと語る。いま思えば、よく友達も聞いてくれた(笑)
勉強も面白かったですね。純粋に、勉強をしていればいつか世の中の役に立てると信じてました。テスト前は朝から晩まで食事とお風呂以外はずっと勉強をしていたような、がり勉ですね(笑)
——高校時代はどうでしたか?
黄金の女子高時代、という感じでしたね。お茶の水大学付属の女子校に通っていました。友達がお風呂の手桶にゼリーを作ってきてくれて、皆で食べたり(笑) みんな仲が良くて元気で、とにかく何でもアリの破天荒な高校生活でした。大学受験の時も、とにかくチャレンジだ!って仲間たち大勢で東大など難関校に臆せず受験しました。エネルギーにあふれてました。
大学で突然の「女の子」扱いに違和感。「今にみてろよ~!」
——受験といえば昨年、東京医科大学入試で女性の得点を操作するという性差別問題がありました。うち越さんはその弁護団の共同代表をされています。
客観的に試験の点数で判断されるはずの入試に差別があるなんて思いもよらず、ショックでした。甘い思い込みでしたね。でも大人たちが諦めたら、また若い人たちを傷つける社会が続いてしまう。だから弁護団を立ち上げました。
マスコミの注目度も高かったし、弁護団の活動費用をクラウドファンディングで集めたら700万円以上もの応援が集まった。過酷な医療の現場に女性医師を入れる余裕がないから仕方ない、という女性差別が強固な社会に迎合的な発言もあった中で、「これは声を上げるべきこと、声を上げていいことなんだ」と社会に示せたと思います。
——うち越さんがこれまで弁護士として扱ってきた案件は、女性に関するものが多くあります。うち越さん自身、女性としての壁を感じたことはありますか?
あからさまな差別を受けた記憶はないですが、大学でいきなり「女の子」扱いされて、戸惑ったことから問題意識を持ったと思います。
高校までは女子ばかりの環境で、みんながエネルギーと能力を爆発させていた。なのに大学に入ったら突然、周囲の男性たちに「女の子は大事にしなきゃ」とか言われて。今の社会のあり方を前提にした上で、女性の可能性を制限するようなことを言っていて、疑問を持ったんです。
——そういった疑問は、同年代の友達とも共通したものでしたか?
一部では、そうですね。女性の友達から就職活動の話を聞く中で、面接待合室に「女子の部屋」が設けられていたというのも衝撃でした。大手メディアでも、男子学生用の出身大学ごとの待合室とは別に、全大学まとめた女子学生用の部屋があったというんです。大学で勉強を頑張って、みんな実力をつけてきたのに、「私は東大生じゃなくて「女子」なんだ。これっておかしくない?」と悔しそうでした。
ただ、いろいろな学術書も読みましたが、まじめに女性差別について話すと「え、怖い~」と周囲にちゃかされることもあった。それで、「今にみてろよ~!」と奮起しました(笑)
——弁護士になろうと思ったきっかけは?
大学卒業後は大学院に進学し、教育学系の研究をしていたのですが、やっぱり直接的に女性や子どもに関わる仕事がしたくて、司法試験を受ける決意をしました。とはいえ博士課程まで進んでいたので、そのまま研究者としてやっていくかすごく悩みました。でも母親が「あなたは弁護士の方が向くと思う。頑張んなさい」って背中を押してくれたんです。それで、諦めないでいられました。
適切な支援があれば、自然に笑えるようになる
——弁護士として、暴力を受けた女性や子どもたちと接してきて、どんなことを感じていますか?
社会の矛盾は、もっとも弱い人たちに襲いかかる、ということですね。ある夫婦のDV案件で、夫が暖房や冷房のない部屋にしか妻をいさせない、という暴力をふるっていました。寒い冬にお母さんが防寒着を何枚も着て震えているのが子どもは悲しくて、暖かい部屋に呼びたい。でも、お父さんが怖くてできない。
その件ではなんとか離婚はできたんですが、経済的に余裕のある元夫のところに託す方が、子どもは幸せなんじゃないか、と元妻が葛藤を抱えてしまっていました。
子どもの選択肢は、お金のあるなしや環境で大きく変わります。アルバイトで学費を稼いだりと頑張るけれど、その先の結果が見えると諦めがちです。そして周囲からは、置かれた場所が全く違うのに、結果は自己責任と言われてしまう。子どもたちの可能性が社会につぶされてしまうのは、切ないです。
——そんな厳しい状況の中でも、弁護士を続けてこられたやりがいは、どんなことでしたか?
法律相談に来る方は、最初は顔がすごく強張って、表情が凍り付いています。凄まじい経験をして、本当に状況が良くなるんだろうか、と無力感に包まれている。
別の相談機関で「それは暴力じゃない」などと言われて、人権侵害に耐え続けてきてしまった人もいました。「大したことないです。カッターで刺されたくらいです、包丁は持ち出されたことありません」と恐縮する人も多かった。大したことないって自分に言い聞かせてきたんだろうな、大変だっただろうな、と。
でも、法的手続を進めるうちに、加害者に怯えていた人もサバサバとして、自然に笑えるようになる。それはやっぱり嬉しかったです。適切な支援があれば、どんなにつらい境遇に置かれていても、自分の力を取り戻すことができるんです。
まだめぐり会っていない多くの人の力になるには、政治に挑戦するしかない
——今回、うち越さんが国政に挑戦を決めた理由は?
常々、女性や子どもへの暴力をなくしていくには、今ある法律や制度を前提にするのではなく、改善しなければならないと考えていました。たとえば、せっかく暴力から抜け出せても、シングルマザー世帯が生活保護を受けたまま子どもを大学まで進学させるハードルは依然高いから、暴力を受けても我慢してしまう女性も多い。法律に基づいて仕事をする弁護士として、法律や制度の不十分さは歯がゆいです。
それに、弁護士のところに法律相談に来る方は、苦しみながらそれでも何かアクションを起こせるのではないかと気づいた人たちです。その手前の段階で、誰にも言えずに我慢して苦しんでいる、わたしがまだ巡り会っていない人たちは、きっとたくさんいる。本当にそういう人たちの力になるには、政治に挑戦するしかない、と思うんです。
経済格差、原発、耕作放棄——。新潟で理不尽さ、不平等の解消に努めたい
——うち越さんが新潟から政治に挑戦する意義について、どう考えていますか?
数年前、両性の平等について規定した憲法24条に関する講演会の講師などで、わたしを新潟に呼んでくれた女性たちのグループがありました。その後も何度か、パワフルな彼女たちと意見交換して元気をもらい、新潟がとても好きになったんです。
今回、統一候補として新潟から政治に挑戦しないかとお話をいただき、この女性グループとの交流を思い出して、とても嬉しかった。そして、新潟では野党の女性国会議員がたくさん活躍していらっしゃいます。いろいろな経験をしてきた女性議員たちが協力すれば、だれもが暮らしやすい社会をつくれるはず。そう思って、新潟からの挑戦を決めました。
——県内を回ってみて、新潟が抱える課題や解決策をどう考えていますか?
明治時代、新潟の人口は東京より多く日本一でした。でも現在、首都圏と地方の格差はあまりにも大きい。理不尽さ、不平等がいたるところにあります。
いろいろな産業の方から「東京に出ている若い人に、新潟に戻ってきてほしいとは、とても言えない」という声を聞きました。たとえば金属加工業で有名な燕市の中小企業は厳しい価格競争にさらされ、利益がほとんど残らないといいます。
農家では担い手がどんどん高齢化して、「新潟は米どころと言うけれど、このままでは休耕地だらけになってしまう」と危機感を持っています。農業者戸別所得補償制度の復活をはじめとした、兼業農家の経営安定を図りたいです。
さらに新潟には、世界最大の発電能力を持つ柏崎刈羽原発があります。賛成派/反対派の分断とリスクだけが地域に残り、電力の大部分は首都圏が消費している。この歪みは、東京にいてはなかなか見えなかったことです。
スローガンとして上から目線で「原発ゼロ」のみを叫んで終わりではなく、原発ゼロを志向しながらも地域経済を心配する県民の皆様の具体的な声を受け止めたい。そして、具体的に耐用年数を過ぎた原子炉の廃炉計画の策定と先進的な技術によって立地地域を再生させる、省エネ技術の開発を促進するなど、地域の雇用がしっかり確保され、県経済がむしろ活性化するような方向性を打ち出していきたい。
農山漁村や山林をはじめとして、新潟には再生可能エネルギー生産に適した条件が多くあります。第一次産業と再生可能エネルギーの融合によって、エネルギーの地産地消、さらに地域でお金が回る「地域分散型ネットワーク社会」を実現したいと思っています。
選択的夫婦別姓、最高裁で女性裁判官3人は全員賛成。でも…
——2015年に選択的夫婦別姓を求めて女性たちが起こした裁判では、弁護団の中核をうち越さんが担っていました。最高裁の判決は、民法の夫婦同姓規定を「合憲」としました。
合憲判決は悔しかったですね。でも裁判官15人のうち、2人の弁護士出身の男性裁判官の他、女性裁判官は3人全員が「違憲」と表明しました。
厚労省の調査では、毎年約96%の割合で女性が姓を変えている。今の制度は、自分の名前でいたいという気持ちと、愛する人と結婚したいという気持ちの、二者択一を女性が迫られるものだと思います。女性裁判官は、この実態にリアリティを感じていたのだと思います。
——夫婦別姓について、どんな現場の声がありましたか?
男性も女性も、よほど親しい相手でなければ姓で、たとえば私の場合「さくらさん」でなく「打越さん」と呼ばれて生きていく。選択的夫婦別姓を求めるのは、研究者や専門的なキャリアを積んだ女性に限りません。専業主婦の方は、「職場で旧姓を呼んでもらえる人はまだいい。わたしはずっと家にいるから、姓が変わって自分自身が消えてしまったみたい」と言っていましたね。訴えをおこした当時70代の塚本協子さんは「この名前で死にたい」と訴えていました。
自分の名前を自分で決められるかどうかは、憲法にも規定されている「人格権」の問題だと思います。
——選択的夫婦別姓に関しては、従来も立法措置が探られたり、司法の場に持ち込まれたりしてきました。
2015年の判決で裁判長が出したのは「この種の制度の在り方は、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄にほかならないというべきである」という見解。国会でなかなか法改正の決断をしてくれないから司法に訴えたのに、またもボールが立法に返されたことになります。女性差別に関しては他にもいろいろな案件に取り組んできましたが、選択的夫婦別姓すら実現しない現状は、本当にどうにかしたいです。
——その他、うち越さんがこれまで力を入れてきた女性や子どもに対する政策はどうでしょう?
虐待をはじめとする様々な暴力、そしてその結果として現れる経済格差を防止するための政策を、一日も早く実現したいです。高校授業料の完全無償化、給付型奨学金制度の確立、公的住宅費補助制度、生活保護世帯への就学援助充実、子ども貧困対策推進法の拡充などに取り組みたいと考えています。同性婚の実現など、すでに要求の声が強く上がっている、多様性を実現する政策も重要です。
——最後に、目指す社会像を教えてください。
政治の役割は、すでに多様な私たちをそれぞれ尊重すること。「こうあるべし」と型にはめることではありません。一方で、自分で選んだわけではない理不尽な状況を、自己責任だと放任してはいけない。きちんと働いて、まっとうな生活を政治が保障できるようになれば、地方社会は若者たちに戻ってきてほしいと言えるようになるはず、と信じています。
うち越さくら SAKURA UCHIKOSHI
1968年、北海道旭川市生まれ。東京大学教養学部、同大学教育学部卒業。東京大学大学院教育学研究科博士課程中途退学。
2000年に弁護士登録。離婚、DV、親子などの家族問題やセクシャルハラスメント、少年事件、子どもの虐待など、女性・子どもの人権にかかわる分野を得意とし、長年児童相談所の嘱託弁護士を務めてきた。第一次夫婦別姓訴訟弁護団事務局長、第二次夫婦別姓訴訟弁護団副団長、東京医大医学部入試における女性差別対策弁護団共同代表。
著書に「レンアイ、基本のキ―好きになったらなんでもOK?」(岩波ジュニア新書)、「三訂版Q&A DV事件の実務 相談から保護命令・離婚事件まで」(日本加除出版)、「なぜ妻は突然、離婚を切り出すのか」(祥伝社新書)、「司法の現場で働きたい! 弁護士、裁判官、検察官」(岩波ジュニア新書)、「右派はなぜ家族に介入したがるのか 憲法24条と9条」(大月書店)、「私にとっての憲法」(岩波書店)などがある。
趣味は読書。好きな漫画家は渡辺ペコ。最近は深谷かほる作「夜廻りねこ」がお気に入り。