2019年3月21日
「作りたいのは、次世代の地方政治」長崎県 若手クロストーク
長崎での立憲民主党を牽引する要素のひとつが、若手メンバー3人。長崎県連の代表をつとめる山田勝彦、副代表の牧山大和、同じく副代表の赤木幸仁だ。互いに「かっちゃん」「やまと」「あかちゃん」と呼び合う3人はともに、長崎生まれの長崎育ち。進学や就職などで一度は長崎を離れたことのある彼らだが、故郷へとそれぞれの経験を持ち帰り、現在は多種多様な取り組みを行なっている。 障がい者支援や食の安全・オーガニック食品やまちおこしなど、それぞれのフィールドを持つ彼ら。イタリアの「五つ星運動」の副代表にイタリアまで会いに行くなど、フットワークも軽い。そんな3人に、長崎の過去・現在・未来について聞いた。
古くからの国際貿易都市としての歴史がまちの基本に
──長崎県は九州西部に位置する。現在の長崎市は、江戸時代までは江戸幕府の直轄地だった。鎖国中の江戸時代には日本の玄関口として唯一開かれていた場所であり、現在も、その名残が処々に残る。また、第2次世界大戦末期には、1945年8月9日に原爆が投下され、広島市とともに被爆地となった。このように日本の中でも稀有な要素を含む歴史の中で、特にまちの成り立ちに大きな影響を与えたのは、どういった出来事なのだろうか。
赤木:僕は出島を挙げます。江戸時代に長崎に出島をつくり、ポルトガルやオランダから来航した人々を住まわせた結果、そこを拠点に海外の様々な文化や知識が入ってきました。いわば経済特区であったからこそ、発展してきたともいえる。そのころの、新たな文化を迅速に取り入れて、日本に合った形に変えて国内に発展していく、という先進的なアイデンティティを、このまちはまだ持っていると思います。
山田:僕が推したいのは、日本初のキリシタン大名である大村藩主、大村純忠。世界遺産になった長崎の教会群のルーツは、実は彼なんですね。つまり、長崎のまちに大きな影響を与えているということ。当時、鎖国だったにもかかわらず、彼はこの長崎を開港して、一大国際貿易都市に変えました。それを機に長崎が非常に豊かになったのですが、その功績を知らない人があまりにも多い。実は現在、大村市の有志たちが、大村純忠を主役にした大河ドラマの実現に向け働きかけを始めてるんです。
牧山:僕の言おうとしていたこと、先に2人に全部言われちゃいました(笑) 2人の言うように、古くから海外に開かれた交易都市であったことは長崎の大事なルーツ。もうひとつ忘れてはいけないのが、原爆を投下された「被爆都市」としてのアイデンティティだと思います。
忘れてはならない「被爆都市」の歴史。長崎の新世代として想うこと
──3人にとっては、「被爆都市」としての長崎も、とても重要な要素だ。特に近年の日本政府の核への態度については、関心を持ってウォッチし続けている。
赤木:長崎市は小学校のころから、毎年8月9日は登校日に設定されていて、その日は平和について学びます。被爆者の話を聞いたり、長崎原爆資料館に社会科見学に行きます。そこで感じたことはずっと心の中に残っているんですね。大人になっても、長崎は原爆を落とされて、焼け野原から復興したのだという意識は強い。
僕たちは被爆者の方々の話を聞ける最後の世代です。皆さんの話をしっかりと聞いて、これからどのような世界を目指すべきか一緒に考え、引き継ぐ責任がある。
山田:僕の大叔父が原爆で亡くなっています。3~5歳で親を亡くした経験を小・中学生になって聞いたときに、相当ショックでしたし、他人事ではないという思いも沸きました。当事者でなくとも、戦争や原爆がなぜいけないのかを発信していくことは、やはり長崎人の使命だと思います。
牧山:原爆が落とされたのは、1年でもいちばん暑い時期です。そのころに重度の火傷を負い、熱さに耐えかねて水を求め、川に入って亡くなっていった人を思うと怒りがこみ上げます。平和公園が近くにあるためか、夏が来るたびに、そういう光景がまざまざと目に浮かびます。
山田:だからこそ、去年からの国連総会での、日本政府の対応には憤りを感じますね。本来なら、世界の非核化について、唯一の被爆国である日本がリードすべきにもかかわらず、アメリカをはじめとする核保有国に対して余計な配慮をしています。これでは、核で命を落とした人たちは報われない。
人口減少・貧困問題…子どもたちを支えるプロジェクトを立ち上げた
──長崎は人口減少や全国で5位以内の貧困率の問題を抱え、それに伴ってまちが賑わいを失っているという。3人ともそうした問題を視野に入れ、解決策を模索すべく、それぞれが新たな事業の立ち上げやイベントの企画・運営などに取り組んでいる。
牧山:僕は東京で畜産コンサルタントを経験し、長崎に農場を開くためにUターンしました。また、循環農業でつくる安心・安全な野菜などを子どもたちに提供したくて、大村市で子ども食堂を開設しました。その後間もなく、長崎県内の子ども食堂ネットワークを立ち上げたんです。
その結果、子どもだけでなく、高齢者を含めて多くの世代が集まるようになり、いつの間にか地域住民の居場所(地域の交流拠点)になったんです。子どもの貧困対策のみではなく、そういった地域包括的な役割の必要性を実感しています。
ただ、貧困問題は、月に1、2回程度開催の子ども食堂では解決に結び付きません。僕が入っている長崎県食品ロス削減推進協議会に取り組みつつ、フードバンクを立ち上げて食糧支援につなげていこうとしています。2017年の長崎の県民所得は最下5位で、7人に1人の子どもは貧困家庭というデータが出ているので、もっとスピード感を出したいですね。
農福連携・観光振興のその先へ──次世代の長崎をつくるために
──続いて、山田と赤木にも、現在一番力を入れているプロジェクトについて聞いた。
山田:僕はまちづくりについては、「五島列島支援プロジェクト」に顧問として関わっています。五島は世界遺産になっているものも含めて教会が点在しています。しかしながら、島は人が住みにくいために、それらの維持が困難な状況なんです。そこで、五島の魚を首都圏へ流通し、得られた収益を教会の保全に回すという活動があるんです。
同時に2014年から、発達障がいの子どもたちの自立支援にも取り組んできました。療育型放課後デイサービスの「やまびこ学苑」を運営しながら、2018年2月には就労支援を行う「やまびこ農苑」開園にこぎつけました。
──やまびこ学苑とやまびこ農苑は、福祉と農業を結び付ける、いわゆる「農福連携」の試みだ。しかし、山田はさらにその先に、長崎の雇用の増加の可能性も見出している。
山田:やまびこ学苑で社会での自立に向けてサポートした子どもたちは高校と同時に学苑も卒業するわけですが、そこで“さようなら”、ではあまりに無責任だと思っていました。障がいのある子どもたちの家族は、一般の大学に進学してほしい、一般の企業に就職してほしいと願います。でも、現実的にはみんなそれが叶うわけではありません。そのときに彼らを受け入れるセーフティネットとして、彼らの居場所を用意しておきたかった。それがやまびこ農苑です。
僕たちはそこで自然栽培に挑戦しています。農薬も肥料も一切使っていません。やまびこ学苑は県内に全10校あり、計約80人を正規雇用しています。こうした実績を踏まえ、福祉事業の拡大を地域の雇用につなげる先進事例をつくりたい。
赤木:僕は観光振興、まちおこしの分野ですね。中国の旧正月を祝う「春節祭」を起源とする、「長崎ランタンフェスティバル」が2月に開催されます。例年、100万人の観光客が訪れる冬の風物詩です。このお祭りと、人気コミックとのコラボレーションを企画しました。伝手も何もないところから、出版社に掛け合い、実現にこぎつけました。漫画やアニメーションとのコラボも、長崎の魅力を伝えるプロモーションに一役買ってくれるはず。
──若い世代を巻き込んだまちおこしは近年、全国のあちこちで試みられているが、赤木がとくに課題だと感じているのは、長崎県議会に若い世代があまりに少ないことだ。
赤木:現在の県議会議員は60歳以上です。僕たちは、その世代ではなく、これから暮らし続ける若年層に対してどのようにコミットするかが課題です。
TPP・地方の衰退・雇用問題──3人が政治の世界に踏み込んだきっかけ
──これまで、まったく異なる人生を歩んできた3人。それぞれが直面した出来事を契機に、自ら政治に関わる必要性を痛感し、政治の世界へと踏み込んだ。きっかけとなった出来事を聞いた。
牧山:僕が取り組んでいる食べ物に関するプロジェクトのきっかけは、東京で畜産コンサルタントをしていた時代です。TPP(環太平洋パートナーシップ;Trans-Pacific Partnership)の問題に危機感を抱いていた頃に、かっちゃん(山田勝彦)のお父さん、正彦さんが主催する政治塾に出会ったんです。専門家の正彦さんから、TPPの問題点や日本について学ぶうち、「このままじゃいけない」という思いを強めました。
TPPに関しては、遺伝子組み換えや、種の知的財産権、農薬などについての事項に特に留意しています。食べ物全般の安全性を担保する話ですし、日本にとって不利な条件が多いことも気にかかります。
赤木:僕の場合、きっかけは二つあります。ひとつは大学のときに心理学を学んでいた時、介護施設や障がい者施設、児童養護施設など様々な施設で研修を受けたことです。研修後、もっと施設や子ども達の実情、サポートの方法などを知りたいと思い、ボランティアとして通うようになりました。すると、時折、情緒不安定になったり、暴れたりする子どもがいることに気づきました。その原因を考え始めたとき、背景に貧困を含む家庭環境の問題、それらを引き起こすアンバランスな社会構造がはっきりと見えてきたんです。
──赤木はもともと心理学で得た知識を生かして、個別のカウンセリングを通じて問題を解決していきたいと考えていたが、現場で痛感したのは、より大きな制度的なアプローチの必要性だった。同時に背中を押したのは、長崎出身の著名なシンガー・ソング・ライターの言葉だったという。
赤木:実は2003年から2005年ごろ、大学のあった東京から帰省するたびに、長崎のまちの元気がどんどん失われていくのを感じていました。商店街では子どものころからの馴染みの老舗が撤退し、全国チェーンのドラッグストアなどが急激に増えた。そのころ、ちょうど長崎出身のシンガー・ソング・ライターの福山雅治さんが地元でコンサートを行い、「動かんば、長崎」というメッセージを発していました。それを聞いて、僕も思いだけでなく実際に動いてまちを活性化していかなくては、と。
山田:僕の場合も、やまと(牧山大和)やあかちゃん(赤木幸仁)の話と重なるところが大きい。まず、僕が政治に大きくシフトするきっかけになったのは、長崎の雇用問題です。
父の秘書をしていたころに、五島の農家の方から言われた言葉がずっと忘れられません。「自分の息子に、島から出て勤め人になれと話した。この島にいても飯が食えず、家族を養えない」。本当は、先祖代々守ってきた農地を継いでほしいのだと思います。でも、そういわざるを得ない。漁業を営む方からも「漁業権を放棄してでも島を出ていけ、と子どもに言った」という話を伺いました。当時現場で活動しながら、この人たちの努力が足りないわけじゃない、この国の農政が間違っているのだと実感していました。
──長崎県ではこれまでも「人口流出」を課題として挙げ続けてきた。しかし、抜本的な解決にはまだ遠い、というのが山田の危機感だ。もちろん、山田自身も進学を機に一度長崎を離れている。大切なのは、意に反して故郷を離れる若者を減らすこと、そして一度離れても、いつでも戻ってこれる環境をつくることだ。
山田:もちろん、東京や他の都市で刺激を受けたいという人は、積極的に行ってもらいたい。でも問題は、ここに残りたいのに正規雇用の口がなく、生活のために派遣社員や条件がいいとは言えない仕事に就く人が多いのです。長崎の仕事の選択肢を広げるためにも、農業と福祉、自然エネルギー、この3つを一体的に事業化するという僕の構想はそこにつながっている。実現すれば、意に反して故郷を離れる若者を少しでも減らすことができるんじゃないかと思って。
パタゴニアも映画で問題提起した「石木ダム」については、「一度立ち止まって考えたい」
──現在、長崎の世論が二分されているのが、「石木ダム問題」だ。長崎県川棚町に建設されようとしている石木ダムは、川棚川流域の治水と佐世保市への利水のために1975年に建設が決まった。2013年に国が事業認定し、県は家屋や土地の強制収用の手続きを進めているものの、地権者の反対で本格着工していない。この問題に関しては、環境保全に関心の高いアウトドア・メイカー、パタゴニアも映画を制作するなどして、県民のあいだで話題になっている。
山田:ダムがつくられるのは東彼杵郡川棚町ですが、ダムの水が使われるのはそこから離れた佐世保市。計画された当初から時間が経ち、今、佐世保市は水にほぼ困っていません。今後、あるかないかの水不足のために、自然を破壊してダムをつくる。しかも、佐世保市では水道料金が上がるというデータもある。長崎県も佐世保市もその情報を大々的には公開していません。それはフェアじゃない。
牧山:石木ダムの一部始まっている工事現場付近では、川棚町の住民のみならず、佐世保市の有志の方々も一緒に座り込みで反対運動をしています。県が示している、佐世保市の水の必要量の予測値は、発表するたびに、実測値からかけ離れていくように思います。もちろん公共事業の必要性については、拙速に結論を出していい問題じゃない。でも、まずはいったん立ち止まって議論する姿勢が重要なんじゃないでしょうか?
インスピレーションになったのは、イタリアの「五つ星運動」
──実は3人は世界の政治活動の中でも、イタリアの「五つ星運動」の大きな関心を寄せている。五つ星運動は、2009年に創設されたイタリアの新興政党だ。インターネットを駆使して新たな民主主義の可能性を追求するとともに、住民投票を重視する直接民主主義を掲げている。もちろん、その主張をすべてを鵜呑みにすることはできないが、それでも長崎の政治に対するインスピレーションは大きいそうだ。
山田:1年ほど前に、イタリアで「五つ星運動」党のリカルド・フラカーロ下院議員にお会いしました。そのときの「五つ星は運動だ。自分たちはイタリアに直接民主主義を根付かせたら消滅する」という言葉に衝撃を受けました。政党という形を取っているのも、政治家を多く抱えているのも目標を達成する手段に過ぎない、と。政権を取ったら大臣までやって、自分の業績を地元にアピールして・・・などと言っている日本の従来の政治家の姿とは大きく違います。
赤木:長崎市では歴史的建造物の保存を否決するなど、ここ4件ほど立て続けに民意が反映されないケースが続いています。そういった現状を見直すためにも、県連では直接民主主義に則った制度をつくりたい。
牧山:いわゆる「常設型の住民投票条例」。将来的には僕たちが考えている社会をよくするためのツールになるんじゃないか。
山田:日本の今の政権のあり方を見たときに、TPPにしろ安保法制にしろ、国民の声をあまりに聞いていない。集めた署名も意味がない。もちろん、すべてを直接民主主義で解決することはできませんが、民意と離れた民主主義を再生するヒントにはなるはず。これからも次世代の日本の地方政治を活性化させるために必要なことを、試行錯誤しながら模索していきたいです。
山田勝彦 KATSUHIKO YAMADA
1979年長崎県大村市生まれ。立憲民主党長崎県連代表、長崎三区衆議院支部長。法政大学社会学部卒業後、2009年~2013年まで元農林水産大臣山田正彦の秘書を務める。2010年には農林水産大臣政務秘書官に就任。TPP阻止や改正離島振興法の活用による島の活性化を目指し政治活動を行う。2013年、自然エネルギーの普及を目指し、クリーンファーム(太陽光発電販売店)を開業。2014年、子ども発達支援やまびこ学苑(発達障がいの子供たちの療育支援施設)を開校。
牧山大和 YAMATO MAKIYAMA
1979年長崎県大村市生まれ。立憲民主党長崎県連副代表。宮崎大学大学院農学研究科修了後、埼玉種畜牧場に勤務後、畜産コンサルタントとして独立。現在、子ども食堂やフードバンクの活動推進に積極的に関わる。いずれも、長崎の民間及び行政と連携しつつ、持続可能でより間口の広い取り組みを目指し模索中。大村子ども食堂副代表、ながさき子ども食堂ネットワーク事務局担当。
赤木幸仁 YUKIHITO AKAGI
1984年長崎県長崎市生まれ。立憲民主党長崎県連副代表、長崎市人権擁護委員。東京学芸大学教育学部カウンセリング専攻卒業後、名古屋市のベンチャー企業を経て、独立行政法人労働者健康福祉機構に勤める。会社役員を経て独立。「長崎LOVERS」、「福山雅治杯きゃあまぐる坂グランプリ」など、長崎市で注目度の高いメディアやイベントの企画・運営に携わる。