立憲民主党は4日憲法調査会(会長・山花郁夫衆院議員)を開き、「芸術に対する公的助成と表現の自由」をテーマに、弁護士の川上詩朗さん(日弁連憲法問題対策本部事務局長、日弁連人権擁護委員会副委員長)、国会図書館からヒアリングを行いました。

 冒頭のあいさつで山花調査会長は、「あいちトリエンナーレ2019」をめぐっては、河村名古屋市長の発言が発端となり、安全上の問題を理由に「表現の不自由展・その後」が中止となったことと、その後の文化庁による補助金全額不交付決定と、2つの問題があると述べ、多くの団体から懸念する声が上がっていることを確認するとともに、法的な観点からあらためて考えていきたいと同日の会議の趣旨を説明しました。

 会議ではまず、国立国会図書館の担当者から「あいちトリエンナーレ」が開催された今年8月1日以降に公表された、表現の自由の委縮を懸念する各種団体の声明(「芸術家・芸術関連団体」「法学者・弁護士会」「その他団体」から計39)について説明を受けました。

 川上さんからは「芸術に対する公的助成と表現の自由―あいちトリエンナーレ問題を素材としてー」をテーマに話を聞きました。

 川上さんははじめに、「あいちトリエンナーレ」の問題については、いろいろな問題を検討しなければならず日弁連としての意見集約は現時点ではまだできていないとして、「あくまでも個人の立場からの発言であり、議論している問題意識を提供したい」と述べました。

 その上で、不自由展の中止問題についてはアムネスティインターナショナルの声明を素材に、「『表現の自由の権利を保障すべき法的義務』とはどのような義務なのか」「何が人権侵害行為なのか」「誰の人権を侵害したのか」「人権侵害行為があったのか」といった観点から、想定される議論を紹介し、「官房長官らの発言は、『適切でない行為』とは言えるかもしれないが『人権侵害行為』と言えるかどうか」「出展ができなくなったことによって国民が作品に触れる機会を奪われたという、『知る権利』に対する影響も問題となる」などと指摘。文化庁による助成金全額不交付問題については、朝日新聞の記事を素材に「文化庁は助成金のあり方を決めるときに外部審査員の意見を聴取すべき義務があるかどうか」「文化行政等の正当性は何によるのか」などと提起しました。

 次に、「あいちトリエンナーレの経緯」をたどりながら、「ポイントは、もともとは『平和の少女像』の展示の中身に対する批判からスタートしており、それが抗議という形で行われ、テロ予告につながっていった。これをストップした理由は安全確保となっているが、中身の問題とテロ予告と安全確保の問題を簡単に分けて議論できるものなのか。これは一体とする捉え方も必要なのではないかという意見もある」と紹介。「『表現の不自由展』の中止は出展者の『表現の自由』を侵害するのではないか」との議論については、出展者は自己の作品を「表現の不自由展」以外で公表できることから、行政側が規制をすることで表現の自由を侵害したと言えるのかという問題がある一方、何の制限もなくそうしたことが行われると、行政側が作品の内容に関与することにより芸術が公表できるものと、できないものに選別されることになると、芸術の多様性や自律性が確保できなくなるのではないかという問題があると述べました。

 政府言論(政府機関としての言論は、個人の言論ではない、という法理)の視点から、その正当性と危険性、限界について説明。「行政の側が一定の表現の主体として登場してくること、助成金の支払いや、今回の企画をするに当たっての一定のテーマに対する一定の中身についての見解を持った上で、その中身に沿った形の作品と、そうでない作品とを選別することは、ある程度認めざるを得ない状況になっている。一定の内容に基づいた選別を政府がすることは一定許されていることは踏まえた上で、その行き過ぎ、それによる危険性があるなかで、どのように限界を作り上げていくかだ」などと話し、芸術の自律性確保のためには専門職の職責が重要だと強調。専門職が一度決めた作品について政府が選別すること(助成金の撤回を含む)は単なる「特権」のはく奪を超えて出展者の「表現の自由」の侵害になる可能性があるとの考えを示しました。

 また、文化庁の補助金全額不支給決定は、「敵意ある聴衆の法理」を踏まえると、公的機関は中止しないように努力する義務があると考えられることから、不交付を正当化する理由にはならないのではないかと述べました。