枝野代表は6日、被爆74年目を迎える広島を訪問し、広島市が主催する「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式(平和記念式典)」、広島県動員学徒等犠牲者の会が主催する「原爆死没者追悼式典」、そして広島県原爆被害者団体協議会(被団協)が主催する「原爆死没者追悼慰霊式」に参列しました(写真上は、被団協主催の原爆死没者追悼慰霊式であいさつする枝野代表)。
平和記念式典では、はじめに原爆死没者名簿が奉納されました。本年奉納されたのは5,068名分で、昨年までと合わせて、31万9186名となりました。
平和宣言を行った松井一實広島市長は、「今世界では自国第一主義が台頭し、国家間の排他的、対立的な動きが緊張関係を高め、核兵器廃絶への動きも停滞しています。このような世界情勢を、皆さんはどう受け止めますか」と切り出し、世界大戦を二度経験した先人たちの平和への誓いをもう一度思い出し、理想の世界を目指す必要性を訴えました。さらに、当時5歳だった女性が詠んだ「おかっぱの頭から流るる血しぶきに 妹抱きて母は阿修羅に」という歌を紹介し、後世の人たちにこのようなことを体験させてはならないと強調したうえで、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかり受け止めていただきたい旨、日本政府に強く求めました。
また、湯崎英彦広島県知事は、「なぜ、核兵器を保有し、ことあらば使用すると脅すことを許される国があるのか。それは、広島と長崎に起きた惨劇を繰り返してもいいということではないか。核兵器の取り扱いをめぐる間違いは現実に数多くあり、保有自体が危険だという証言もある。『これが国際社会の現実だ』というのは、『現実』という言葉の持つ賢そうな響きに隠れた現実逃避ではないか」と問いかけ、責任ある現世代が勇気をもって核廃絶に向けて行動することを呼びかけました。
続けて、原爆ドームの隣に位置する動員学徒慰霊塔で行われた原爆死没者追悼式典では、第二次世界大戦中に、増産協力など、いわゆる勤労奉仕に動員されている最中に原爆死を遂げた学徒の追悼が行われ、井上公夫副理事や学生代表などのあいさつに続き、枝野代表も献花を行いました。
被団協による原爆死没者追悼慰霊式では、植田雅軌副理事長があいさつに立ち、「私は中学4年の時に工場で被爆した。先輩が『助けてくれ』と叫んでいたが、その後ろから火が迫っており、助けてあげられないまま逃げた。今でも夢に出てくる」と語りました。さらに、米露間のINF条約の失効で世界が冷戦状態に逆戻りすることを危惧し、各国間の相互不信感を払しょくするための努力を呼びかけました。
立憲民主党からは、枝野代表はじめ、被爆二世でもある塩村あやか参院議員、若林新三広島市議も参列しました。枝野代表は、核兵器禁止条約に日本が署名していないことに触れ、「唯一の戦争被爆国として、強いリーダーシップを発揮していかなくてはならない重い責任がある」と語り、「残念ながら、今世界では、紛争が増えつつある。一方で、日本で当時直接被害を受けた方がどんどん少なくなり、戦争体験を直接聞いたことのある若者が減っている。次の世代に戦争の恐ろしさをしっかり語り継いでいただき、核のない世界に向けて、皆さまとともに歩いてまいりたい」と言葉を強めました。
慰霊式後、枝野代表は記者団の取材に応じました。質疑応答の概要は以下の通り。
Q.核兵器禁止条約に関して、式典で総理のあいさつでは言及がなかったことについて
唯一の戦争被爆国として、日本は、独自のリーダーシップを発揮していかなくてはならない立場にある。もちろん同盟国との関係もあるが、少なくとも、わが国の署名、批准、そして発効に向けた動きを、日本政府としては明確に示していかなくてはならないと考えている。そのことを求めていく。
Q.INF条約が失効し、また米露の冷戦みたいになるのではないか。日本政府はどういうリーダーシップをとるべきか
これは当事国にとどまらず、世界の中で「核拡散やむなし」という空気が残念ながら一部に広がっていのではないかと危惧している。こういう時だからこそ、より強く、広島、長崎の悲劇を世界に伝え、核拡散をどう防ぎ、核軍縮をどう進めていくのか、明確なメッセージを出し続けていくことが重要だと思っている。
Q.憲法9条の改正について。自民党案が自衛隊の存在を明記するとあるが、これに対して改めて枝野代表のお考えは
今の集団的自衛権行使容認という間違った憲法解釈のもとで自衛隊を明記すれば、自衛隊という名前の、世界中で戦争ができる普通の軍隊を認めることになる。そんなことは到底許されるべきことではない。断固戦う。
Q.昨日の国民民主党への会派の呼びかけについて。国民民主党はあの後役員会を開き、衆参一緒でお願いしようという方針を決めた。衆参一緒でも受ける考えをお持ちか
今日は8月6日の広島なので、原爆関連以外についてコメントする場ではない。また、この問題について、あまり途中経過でさまざまなことを申し上げるのは避けるべきだと思っている。