立憲主義とは、政治の側が権力行使にあたり、「憲法というルール」に則ってその力をふるわなければいけない、という考え方。この立憲主義がいま、政治によってないがしろにされている。が、「そんな現在だからこそ、日本国憲法の可能性について話したい」と山花郁夫は語る。2017年10月、「立憲主義」と「民主主義」を掲げて結党された立憲民主党にとって、憲法問題はひときわ大きな意味を持つ。憲法をなかば無視するような政治が続き、国会も混乱する中、立憲民主党の憲法調査会の会長をつとめる彼に話を聞いた。
僕らはちょっと違った角度で憲法を論じようとしてるんです
──自己紹介をお願いします。
1967年1月生まれ。東京の調布市というところで育ち、大学は京都の立命館大学に通いました。現在で衆議院議員を4期やらせてもらっています。家族は妻と、二人の子ども。立憲民主党には去年の党の立ち上げ直後に参加し、現在、立憲民主党憲法調査会の会長をつとめています。
──憲法調査会では普段どんな活動をしていますか?
そもそも「憲法」っていうだけで堅苦しいイメージがありますよね。憲法改正についてはこれまで、一般的にはとにかく憲法9条、いわゆる平和主義の部分が争点になってきました。もちろんそれも大事な話ではあるのですが、従来は政治家の側が、どちらかというと一方的に議論してきた感があります。でも、僕ら立憲民主党は、憲法について、ちょっと違った角度から議論しようとしています。
──というのは?
今までの憲法論争って、やっぱりイデオロギーが先行して、地に足がついた議論ができてなかった。たとえばみなさんに身近な法律の例で考えてみると、普通、ひとつの法律をつくったり改正したりするならば、「こういう法律がないと困る」とか、「この法律だとこういうことができない」っていう社会のニーズを、専門家がきちんと正確に把握し、国会で民主的に議論して、結果として法律が作られたり改正されたりしますよね。
具体例をあげると、いまの若い人はびっくりするかもしれないけれど、実は日本も飲酒運転がそこまで厳しく取り締まられていない時代があった。高速道路のサービスエリアでも、ビールなんかのお酒が普通に売られていたんです。これがなぜ変わったかというと、高速道路でトラックの運転手が飲酒運転して前の車に衝突し、小さいお子さん2人亡くなったっていう事件があったんですね。それを受けて世論が盛り上がった。こんな悲劇は二度と起こしちゃいけないということで、道路交通法を改正して飲酒運転を厳罰化したり、高速のサービスエリアでお酒置くのをやめることになった。つまり、具体的に変えなければいけない現実への認識が共有され、いくつか選択肢がある中で熟議されて、初めて法律は作られたり改正されたり、あるいは制度変更されていくわけです。法律を変えるべき現実の課題を、立法事実、というのですが、この立法事実は、法を作る際に必ず存在するものです。
──同じようなことが憲法論争にもあてはまるということでしょうか?
だって「憲法9条に自衛隊を明記する」という現在の自民党の改憲方針について、安倍総理は「明記しても明記しなくても実態は何も変わらない」って答えているわけです。政治家自身がどんな必要性があって改憲しようとしてるのかを説明できていない。改憲自体が目的化してしまっているのはおかしい。もちろん、東アジアの国際情勢がめまぐるしく変わる中、日本の安全保障を磐石なものにするために、いろんなケースを想定して対応を考えていかなければいけないのは確かです。しかし、2015年に無理やりに通されたいわゆる「安保法制」も、従来の憲法解釈を捻じ曲げて、多くの憲法学者が違憲だと指摘する状態で、自衛隊の海外派遣を可能にする必要が本当にあったのか。
これは、日本という社会が、自分たちの国の平和を、その価値を、どう発展的に継承していくかという問題です。その国民的な論争を回避して、ただ永田町の一部の政治家の側が必要だとゴリ押して通してしまった。安保法制に関していえば、現状むしろ自衛隊の方々を危険に晒すことにもなりかねません。これはあらゆる政治的決断に通底することですが、政治の側が地に足をつけて議論しないと、しわ寄せがいくのは現場です。
──憲法調査会はそうしたトップダウン型の憲法論はとらないということでしょうか?
そうですね。立憲主義を守らない現在の与党の改憲案にのることはありません。しかし、僕らは改憲そのものには必ずしも反対という立場ではないですから、とくに立憲主義や民主主義といった現在の日本国憲法の価値を、より強化するような改憲の可能性については否定しません。でも、なによりもまず、憲法に関してよりリアリスティックで地に足のついた議論をしたいんです。党としても、憲法や法律の専門家だけでなく、具体的な問題の当事者の方々にも積極的に話を聞いています。
今国会で感じた立憲主義、そして政治の危機
──「立憲主義」というのは党の名前にも掲げられています。今国会での様々な動きを見ていて、立憲主義の観点からなにか感じることはありますか?
立憲主義というのは、憲法という、政治の側が権力行使の際に憲法のルールに則ってその力をふるわなければいけない、という考え方です。この点、現在の政治はどんどんこの立憲主義のルールを逸脱して、歯止めがきかなくなってるな、という印象ですね。正直、常識では考えられないような件がどんどん明るみに出てるので、感覚が麻痺してくるようなところがあるのですが、最近で言えば看過できないことが二つ。
ひとつは、やはり政治権力の横暴ぶり。つい先日、ある与党議員の方が、「マスコミは国を潰そうとしている」と発言して問題になりました。ようはメディアが権力に不都合な情報を流していてけしからん、というような意見を表明されたんですね。でも、「表現の自由」というのは、もともと権力批判の自由です。歴史的に、権力を賛美する表現が規制されたことなんて聞いたことがない。だからこそ、「表現の自由」は、少数者がおかしいという自由をこそ保障しているんです。もちろんただ足を引っ張るようなスキャンダリズムはよくないし、批判の質は問われなければならない。けれど、メディアが権力を持っている側にとって不都合なファクトを報道しなくなれば、これは民主主義の基盤が崩れることになります。なにもかもパーフェクトな政府なんて存在しないんだから、きちんと情報を公開して、間違った部分はきちんと訂正し、必要な責任をとっていけばいいんです。誤った情報に基づいていくら議論しても、正しい道にはたどり着かない。権力を握っている側が、そうした健全なバランス感覚を失いつつあるのは怖いことです。
──言論の自由や情報の開示は健全な民主主義を機能させるための基盤ですが、今国会では国会にあがってくる情報や公文書への不信が深まりました。
まさにそうです。その意味で、もうひとつ僕が懸念しているのが、いうまでもなく、国会の議論の前提であるデータや公文書がデタラメだったり、改ざんされていたりという件です。下手をすれば国会で嘘がつかれていた可能性さえある。森友学園の問題もそうだし、「働き方改革」に関する厚労省のデータの問題もそう。防衛省の日報隠しの問題なんて、これは自衛隊に対する文民統制、つまり平和主義の根幹を揺るがすことですよ。僕らは今回の改ざんや日報隠しの問題を単なるスキャンダルだとは思ってない。民間であれば、データ偽装や文書の改ざんなんて起きたら、社長は引責辞任です。政府が行政府の問題に対して責任を負わないような態度が普通になってしまっている。これは異常なことです。立憲主義という問題を超えて、政治そのものの危機と言っていいんじゃないか。
──現在、立憲民主党を含めた野党6党は審議拒否をしています。国会が止まっている理由について、わかりやすく聞かせてもらえれば。
今話したような状況、つまり、国会で出てくるデータや公文書の信頼が担保されず、政府は再発防止策にも本腰が入っていない、という状況を受けて、僕らは改善のための4項目の条件を出して、政府に真摯に対応するように求めました。けれど返ってきたのはゼロ回答。こんな状態で国会を通常通り続けるほうが、後々の日本の議会政治に禍根を残すことになると思っています。そもそもこれは与党だとか野党だとかの党派を超えた問題です。自民党の中にだって今回の問題に危機感を抱く健全な議員の方々はいるはず。だから国会の正常化は簡単です。与党がきちんと現在噴出している問題について真剣に向き合い、対策をすることです。そうなれば、僕らだってすぐに国会に戻って議論したい。
日本国憲法の可能性は、もっと引き出せる
──冒頭で少し話してもらった立憲民主党の憲法へのスタンスについて、より詳しく聞かせてください。
まず明確にしておきたいのが、もともと憲法というのは、国民の側が権力者の権力行使をコントロールする道具です。だから本来、社会の側から出てくる切実なニーズを拾うような、ようはボトムアップの議論と本質的にはなじまない部分もあります。そこについては個別の法律や制度の果たす役割が大きい。僕らはいま、社会の様々なニーズに対応するうえで、憲法改正が必要かどうか、現在の日本国憲法がどんな価値に基づいているのか、そこから議論しようとしています。たとえば、現在、いわゆるLGBT、セクシュアル・マイノリティの当事者の方々から、同性婚を認めて欲しいという声があがっています。そうした声をうけて、僕らは現在、同性パートナーシップ制度や同性婚の法律の立案を検討しています。そこで問題になるのが、憲法24条の「婚姻は両性の合意によってのみ成立する」という条文なんですね。しかし議論の結果、この「両性」というのは、かつて家制度のもとで、戸主、親が勝手に結婚相手を決めてしまう、本人たちの同意のないところで許嫁にしてしまう、といった状況に対して個人の意思によってのみ婚姻が成立するよということを強調したもので、必ずしも「異性同士でしか結婚できない」という風に読む必要はないという結論が出た。そういう確認をすることで、今後同性婚に関する立法作業をするにしても、憲法を改正する必要はないということがクリアになった。これは僕ら自身、大きな経験でした。現場のニーズに照らし合わせて、現在の憲法の可能性を探っていく作業ですね。
──よく「時代に合わない憲法を変えよう」ということが言われますが、そもそも現在の憲法に掲げられている価値 にはいまだ日本の社会で実現されているとは言い難いものもあります。
改憲に関する伝統的なテーマとして、必ず「新しい人権」という話があるんです。「環境権」や「知る権利」などです。もちろん、それを明記することでなにかが進むこともあるかもしれないけれど、憲法13条によって、いわゆる「新しい人権」というのは、これまで裁判所においても確認されてきているんです。僕はむしろ、具体的な制度設計や法律づくりによって、国民の環境権や知る権利を守り、それを実質的に拡充していくことを考えなければいけないと思っている。いまの日本国憲法というのは、決して捨てたものではないんです。改憲に前のめりになるより、その「使いかた」を活発に、前向きに考えていきたい。
──たとえば、一時期には大学など「高等教育の無償化」に憲法改正が必要だ、との意見もありました。
高等教育無償化の話も、改憲テーマにあがること自体が僕はナンセンスだと思っています。あまりに憲法の仕組みを理解していない。日本はすでに、国連の人権規約にある、中等教育と高等教育についての漸進的な無償化について、「留保を撤回して前に進める」と約束しています。日本国憲法には、締結した条約については誠実に遵守しなければならないと書いてあるわけですから、すくなくとも高等教育無償化についてはこれを制度として実現しなければいけないステップにある。なんですでに憲法上も進めなくてはいけないことが決まっているトピックに関して憲法改正が必要なのか。国民投票にはだいたい700億から800億以上のお金がかかると言われている。だったらそのぶんの税金をそのまま無償化に回すべきです。
──国民投票法についても、立憲民主党として対案をつくろうとしていると聞きました。
僕らの案はまだとりまとめの最中ですが、すくなくとも現在の国民投票法には大きな欠陥がある。現在の法律の内容だと、たとえばテレビCMなどにかける広告費の上限が決まっていないんです。重要な政治的な決定が、資金力ですべて決まってしまうような危険性があるんです。ただでさえフェイクニュースによる扇情的な世論操作が問題になっているところです。もちろん表現の自由の問題もありますから、すべてを杓子定規に制限することはできません。しかし、近年で言えば大阪の都構想をめぐる住民投票や、イギリスのEU離脱を決めた国民投票など、国内にも海外にも類似事例はたくさんあります。あらゆるケースを想定して、きちんとした国民投票のしくみをつくらなければいけない、という問題意識で取り組んでいます。
パートナーズ制度と憲法
──立憲民主党はこの春、パートナーズ制度を始めました。党員やサポーターといった政党の応援団ではなく、政治家と市民がともに新しい民主主義の形をつくっていく、というコンセプトです。こうした立憲民主党のボトムアップの姿勢は、今後の憲法議論にどういう影響を与えそうですか?
パートナーズ制度については、僕らもまだその可能性を手探りしているところです。僕の地元の事務所でも、「パートナーズってなんだ?」ってところから、ひとつひとつ新しい政治の仕組みづくりに挑戦している最中ですから。でも、いま日本政治が直面している立憲主義の危機、政治が暴走して、民主主義の大前提が脅かされている問題ひとつをとっても、大いに影響があると思います。この問題に関しては、僕ら国会議員も本気で戦うし、大きな役割を果たしたいと思っている。
けれど、僕らはあくまで国民のみなさんの代表にすぎない。憲法の本質、つまり権力に対する抑制という意味では、やはり主役は国民一人一人です。おまかせの民主主義じゃなくて、SNSでもいい、家族や職場、学校の中での会話でもいい、どんどん対話を重ねて、おかしいと思ったら声をあげて欲しいと思います。そうした声と連携できるなら、僕ら国会議員の力はきっと、何十倍、何百倍にもなります。
──先ほどでた、憲法的価値の実現という点で、現在の日本で実現できていないと感じるものってありますか?
僕の個人的な関心からいえば、やっぱり憲法25 条の生存権かな。「すべての国民は健康で文化的な生活を有する権利がある」という条文。この20年で格差の広がりが深刻になって、貧困の問題がリアルになってきている。ブラック企業の問題も、過労死の問題もある。本当にこの社会に生きる一人一人にその健康で文化的な生活を送る権利を確保できているのか、と問わずにはいられない。生存権の問題は、これはさっきの環境権や知る権利の問題と同じで、明記してあるから、もしくは明記すればそれでいい、ということじゃない。政治の側が、憲法に書かれた価値を実現するためになにができるか、きちんと考えていかなければいけない。きっとそこには、パートナーズに参加してくれる市民の方々を含めて、今の日本をどういう社会にしたいかという、国民一人一人の声が必要なんです。現在の憲法の活かし方、使い方については、そこにヒントがある気がしています。
山花郁夫 IKUO YAMAHANA
1967年生まれ。衆議院議員(4期、東京22区)。2000年に初当選し、法務副大臣、外務大臣政務官などを歴任。男性国会議員として憲政史上初めて産休を取得した。家族は妻と2人の子ども。現在、立憲民主党憲法調査会会長。