そう遠くない未来、日本の地方自治体はどこも人口減少と高齢化の壁にぶつかる。3月18日告示・25日投開票の逗子市議会選挙に立候補する中西なおみは、「わたしにとって政治は子育ての延長線上にある」と力強く語る。二児の母親である彼女は、東日本大震災をきっかけに政治への関心を強めた。日本が分岐点にあるいま、子どもたちにどんな未来を手渡せるのか。そんな想いを原動力に選挙に臨む彼女にインタビューした。
*このインタビュー記事は、過去に掲載したものを再編集しアップしています。
「あなたの条件では絶対保育園には入れません」って断言されちゃって
──自己紹介をお願いします。
立憲民主党の中西なおみです。逗子市在住の43歳で、二人の子どもの母です。今回の逗子の市議会議員選挙に立候補を決意して、慌ただしく準備をしているところです。元々は千葉の松戸市で生れ育って、結婚してからは東京に住んでいたのですが、7年くらい前に逗子に移り住みました。
──逗子に住むようになったきっかけは?
出産がきっかけです。子どもの育つ環境を一番に考えたら自然にそうなりました。そもそも出産前に東京で保育園を探そうとした時、窓口の人に「あなたの条件では絶対保育園には入れません」って断言されちゃって。「え、絶対ですか?」ってびっくりして聞き返したら、「絶対です」って。出産してしばらくはまだ都内に住んでいたんですが、周りには大きな幹線道路も多くて、もっと子どもがのびのびと自然と触れ合えるような環境がいいなって思って。でも、わたしは夫の職場が東京なので、都内から通えて、かつ自然が豊かなところ…と探していて、逗子にたどり着きました。この土地の風土も人も、とても気に入ってます。
──逗子には移住者の方が多いんでしょうか?
けっこう多いと思いますよ。やっぱり都心の通勤圏でありながら、これだけきれいな海と山のある環境はなかなかないですから。逗子っていうときっと海が一番イメージされるんでしょうけれど、山にも囲まれていて、本当に自然豊かな環境なんです。
子育て世代への応援は、その自治体の未来にもつながるはず
──中西さん自身の逗子での子育てはいかがですか?
わたしの家族はいま、上の子が小学校、下の子が幼稚園です。結婚をきっかけにそれまで勤めていた会社を退職して、「リノベーション」という、古い家屋を改築して新しい付加価値をつけるような仕事を一から学び、自分で事業を立ち上げたんですが、最近になって下の子が延長保育がある幼稚園に入ることができたので、少しずつ仕事のほうも再開した状態です。
──逗子での保育園の状況はどうでしょう?
うーん、やはり働けているお母さんは、たとえば実家だとか親類だとか、身近に頼れる人がいる人が多いです。子どもが熱を出したとき、自分以外の家族や親類が迎えにいってくれるような状況がちゃんとある人じゃないと働けない。待機児童の問題も解決すべきですが、たとえ保育園が見つかってもそれで全部が解決するわけじゃない。もっと働く子育て世代のリアルな状況によりそうようなサポートが必要だと思います。
──たしかに近所に頼れる親類などがない場合は、行政のサポートの厚さが重要になってくると思います。
それでも、逗子はご近所さんのコミュニティがあるというか、お互いに声をかけあったりという雰囲気があるので、それはすごく助かってはいるんです。今回も選挙に出るといったらお隣さんが「頑張ってね」って励ましてくれたりとか(笑)。でも、病気の子どもを預かってもらうわけにはなかなかいかないので。病児保育の問題は、やっぱり行政が考えていかなきゃいけないなって。
──ママやパパというか、子育て世代のコミュニティでも、そういった声は聞こえてきますか?
それはもう。逗子だけじゃなく、日本の地方自治体はいまどこも人口減少や高齢化という壁にぶつかっています。子育て世代を応援する環境をつくることは、単にその家族を支援するということじゃなくて、逗子全体の未来にもつながる話だと思うんです。
──そうした声も今回の立候補の動機になっている?
わたしは政治は子育ての延長線上にあると思っています。だからわたしにとっては政治家を目指すのも育児の一環なんです。だって、子どもたちの環境を良くしていくのが育児じゃないですか。自分ひとりの力だけでは社会の状況というのは改善できないので、政治にも関わって、この地域の子どもたちの環境を良くしていきたい。保育園の問題ひとつをとってもそうだし、原発をどうするかという問題もそう。つきつめると、どういう環境で子どもたちを育てたいのか、どういう未来を子どもたちに残したいのかっていう問題だと思うんです。
日本の政府ってどうなの?って、もう普通に一般市民の感覚でそう思いました
──政治的な関心のきっかけってありますか?
政治への関心というか、危機感の出発点は、2011年の東日本大震災です。わたしの住んでた地区では、乳幼児の取水制限があったんです。防災無線で「0歳児のお子さんをお持ちの方は水道水を飲ませないでください。ペットボトルの水を市役所から配布するのでそれを使ってください」という案内が来て。「え!?」って思って、うちの子はそのとき1歳だったんですけど、0歳の子に飲ませちゃいけないものを1歳だったら飲ませていいのか、っていう…。悩んだあげくに、酒屋さんや自動販売機を探してみても、どこも水は売り切れで。結局友人に譲ってもらって、ようやくペットボトルの水を手に入れたんです。
──震災当時はとくに子育て世代は大変だったかと思います。
それまで当然国民を守ってくれるって思ってた政府や行政があてにならない、っていうのに直面して。当時は民主党政権でしたけれど、日本の政府ってどうなの?って、もう普通に一般市民の感覚でそう思いました。そのうちに自民党が政権に戻って、それからも政治のことを色々調べたりとかしているうちに、残念ながら今の政治は国民のほうを向いていないんじゃないかって、そう思いました。
──今回の立候補も根本にはそういう想いが?
はい。政治が国民のことを見ていない、じゃあどうしたらいいのか? 「だったら国民のほうから政治に参加するしかないだろう!」ということで(笑)。
──ではそれまで政治的な関心は特に強いわけではなかったんですか?プロフィールでは、パワーリフティングの大会での優勝経験というのが目を引きますが。
そうですね。わたしは大学も文学部だったし、たまたま誘われて入部したパワーリフティングにはまってしまって(笑)。その後も一般企業に就職して普通に働いていたので、政治的な関心っていうのは特に強いわけではなかったんです。わたしにとっては子育てと政治って全然かけ離れたイメージだった。でも、保育園のこともそうだし、震災以降の原発のこともそうだし、この社会でちゃんとした子育てをしようと思ったら、政治っていうのは絶対に不可欠で、切り離せないんだって実感したんです。
逗子をどんなまちにしたい?
──政治家になって実現したい具体的なビジョンについて聞かせてください。
まず保育園の問題です。逗子市は待機児童だけじゃなく、保留児童というのも多いんです。保留児童というのは、保育園に空きが出ても、自宅からとても遠かったりして、毎日の生活の中で送り迎えをするのは非現実的ということで入園を保留している、そういう状況を指しています。わたしもいま、駅前でマイクを握っていると、電車を使って他の駅まで子どもを送りに行ったり、他の駅から送りに来たり…という方々をよく目にするし、実際に声をかけられたりします。園に送るためにお父さんお母さんが早起きしなくちゃいけないから、すごく大変だなって。待機児童問題の解消も大事なんですが、保留児童の問題も忘れずに解決しなきゃって考えてます。
──原発の問題と関連して、再生可能エネルギーの施策などは考えていますか?
もちろん、実際に電力量として原発の分の電気をまかなえればいいんですけど、現実的に考えた場合、必ずしもそこにこだわる必要はないんじゃないかって考えています。たとえば、海外などでは、街中に散歩中の犬が用を足す犬のトイレを設置して、そこで発生するメタンガスを利用して街灯を灯すような試みをしてたりするんです。逗子には、省エネルギーやエコロジーに対して関心がある人が多い。現実的に再生可能エネルギーの比率を増やしていくことも大切だと思いますが、必ずしも電力量として大きくなくても、創意工夫の余地はある。最近いわれている「持続可能性」「サステイナブル」という話にもつながりますが、これだけ豊富な自然に囲まれた、逗子らしいやり方を提示できれば、それ自体が新しい価値観の提示になるんじゃないかって。
──他にもありますか?
わたしがいますごく憤ってるのが、交通整理員の廃止です。子どもたちの命に関わる問題なのに、市で「廃止」という結論が出て。これはなんとしても撤回にもっていきたいです。あと、わたしは元々やっていた家屋のリノベーションに加えて、里山保全の仕事も経験しています。荒れてしまった雑木林や森に穴をほったり溝を切ったりして環境をよくすることなんですけれど。逗子にも里山保全地区があって、まさにわたしがノウハウを持っている内容なので、ぜひそうした政策にも力を入れていきたいです。
──日本の男女間格差、とくに政治の世界での女性議員の少なさについてはどう考えていますか?
人口の半分は女性なので、自然に考えれば、政治の世界にも女性が半分いたほうがいいと思うんです。現状、日本はこの点ではっきりと遅れている。だいたい全体の10%ですよね。これは先進国というか、全体のランキングでも本当に下の方なので、半分は女性だ、というところまで持っていきたいなとは思います。
──立憲民主党は女性候補の擁立に力を入れています。でも、数値目標を掲げる前に、女性が政治の世界を志した時にぶつかる壁について真剣に考えるところから始めなければいけないんじゃないか、とも思います。中西さん自身、そうした壁のようなものを感じたことはありますか?
うーん。そうですね、あります。でも、たとえばこういうインタビューでそれに答えるのは難しかったりもするんです。困難はある。でも、その困難を口にだして言えないような難しさがあるんじゃないかと。そもそも女性としての困難をシェアすること自体が難しいという問題は、いろんな分野でのジェンダー・ギャップの問題に共通してるんじゃないでしょうか。
あのときわたしも「枝野立て!」ってツイートしました
──今回立憲民主党から立候補を決めた理由は?
去年の9月末、応援したい政党がいなかったんですよ、本当に。かつての民主党は、原発ゼロってちゃんと言ってくれなかったじゃないですか? 原発ゼロを目指したいと言いながら、なんとなくモゴモゴしていて、歯切れが悪かった。でも、立憲民主党は原発ゼロの問題にせよ、待機児童の問題にせよ、方向性がはっきりした。そこは大きいです。
──では立憲民主党の誕生は一市民として嬉しかった?
立憲民主党が立ち上がる直前、わたしは「日本はもうおしまいなんじゃないか」ってそんな絶望感に駆られちゃったんです。そう感じた人はたくさんいたと思います。Twitterで「 #枝野立て 」のハッシュタグが盛り上がって、あのときわたしも「枝野立て!」ってツイートしましたから(笑)。だから、変な話なんですけれど、立憲民主党が誕生した時は、自分が産みの親のような気持ちになったんです。きっとそういう気持ちの人がわたしの他にもたくさんいて、それが立憲民主党への支持を支えていると思う。立憲民主党を育てなきゃ日本がダメになるって、今もそう思ってます。
──支持や所属の対象というより、自分の望む社会を実現する手段として政党がある?
それはそうです。とにかく現在の政治の流れを食い止めなきゃ、そのためにきちんといまの与党に対抗する政党を育てていかなきゃって。わたしは、現在が日本社会の分岐点というか、瀬戸際だって思ってるんです。ここ最近の国会の様子なんて見てると「もう瀬戸際を超えちゃってるんじゃないか?」って思う時もありますけど、このまままっとうな野党がいなくなったら、子どもたちに手渡せる未来は描けない。わたしは、子どもを持つ親として後には引けないって気持ちで臨んでます。
──今回の立候補について家族の反応はどうですか?
あらかじめ家族には「今回だけだから」「落ちたら二度とやらないから」って頭をさげました(笑)。資金も自分の独身時代の貯金をつかうし、家計には迷惑をかけないし、今回だけはわがままを許してくれって。夫は、いろいろ子どもの世話とか家事でも融通を利かせてくれて、「こんなに協力的な人だったんだ」と、いまわたしの中で夫の株が上がっています(笑)。
──お話を聞いていると、すごくパワフルですね。
自分自身を客観的にみると、すこし短気なところがあるんですね(笑)。一市民として応援するのももちろんいいんですけど、やっぱり自分が政治家になって立憲民主党の理念がブレないように支えたい。日本は掲げている理念や理想は正しくても、組織がそれに追いついていないということが多いと思うんです。国民と約束した立憲民主党の理念がおかしなことにならないように、わたしも党の一員として頑張りたいんです。
ずっと当事者目線を欠かさないでいたい
──立憲民主党の理念のひとつに「ボトムアップ」があります。この点についてはどうですか?
生意気だって怒られるかもしれないですけど、わたしは国会議員と地方議員は役割分担だと思っています。国会議員だけでは、地域のきめ細やかなニーズや声を拾うことには限界があるし、地方議員だけでも大きな制度のことは動かせない。どっちが欠けてもダメなんです。だから、お互いに支えあうような関係になっていけば理想的だなって思います。ちょっと話が違うかもしれないですが、うちの夫は男女観について少し古いタイプなところがあったんですよ。男尊女卑とは言わないけれど、「夫の言うことを聞け」みたいな。でも、わたしが仕事を辞めて家で子育てをしてるから夫の言うことを聞かなきゃなんてことはない、役割分担でしょ、というのを長年言い聞かせてきた結果、今は夫もそういう考えはなくなっちゃった(笑)。それと同じで、いまは国会議員と地方議員のあいだにヒエラルキーのようなものが残っていたとしても、きっと変えていけるって思ってます。
──こういう政治家になりたいというビジョンがあれば。
ずっと当事者目線を欠かさないでいたい。今回、わたしは子育て真っ最中だし、子どもを抱えての出馬というのは正直大変なところもあります。でもだからこそ、当事者目線の政治ができるとも自負しているんです。市民一人ひとりと一緒になって、一緒に考える。上からアドバイスをしたり政策を考えたりするんじゃなくて、できるだけ同じ目線で、できるだけ同じ立場で物事を考え、行動する政治家になりたいです。
中西なおみ NAOMI NAKANISHI
1976年生まれ。渋谷教育幕張高校、青山学院大学文学部卒業。全日本学生パワーリフティング大会優勝。大学卒業後、日本製紙株式会社勤務。退職後、ぷち・リフォーム N・FROGを立ち上げ、働く母として住宅リノベーション事業を独立開業。現在は里山保全事業などに携わる。2011年から逗子在住。二児の母。