東京は人口1000万を超える巨大都市で、華やかなイメージもある。しかしそんな東京もそこで生活する一人ひとりの人間の集まりだ。6月17日告示・6月24日投票の杉並区議会議員補欠選挙に立候補する関口健太郎は現在26歳。同世代の友人たちがブラック企業の問題に直面するなど、働き方や貧困の問題にも、若い世代ならではのリアリティを感じている。彼は群馬県から上京して以来、8年間過ごした杉並で、都市型の貧困や教育格差の問題に取り組みたいと、今回の選挙への立候補を決めた。

*このインタビュー記事は、過去に掲載したものを再編集しアップしています。

「どうすればみんなが幸せになれるだろう?」と考えていた子ども時代

──自己紹介をお願いします。

関口健太郎と申します。1991年、群馬県前橋市生まれ。現在は高円寺に住んでいます。大学在学中から元厚生労働大臣である長妻昭衆議院議員の下で秘書として働いてきて、今回杉並区から立候補を決意しました。

──子どもの頃のお話を聞かせてください。

前橋は緑豊かですぐそばに赤城山や利根川があって、自然の中でのびのびと遊んで育ちました。学校が大好きで、小中高と1日も休まず出席しましたね。友達も先生も好きで、勉強は苦手だったけど毎日楽しくて。学校はずっと公立でした。田舎の公立校ってお金持ちもいれば貧しい家庭の子もいて、社会の縮図みたいなところがあるんですよ。離婚して苗字が変わったのを機にいじめられるようになってしまった子、不登校になってしまった子、生活が厳しそうな子を見て、幼いながらに、「人によって家庭環境や境遇に大きな差があるんだな」と感じたし、「どうすればみんなが幸せになれるだろう」と考えていました。そういった経験が自分の原点になっている気がします。

──高校時代、廃部になりかけていた応援団を一人で立て直したと聞きました。

最初は「暑苦しいな」なんて思って敬遠していたんですけれど、一度気合の入った応援を見て、「かっこいい!」とシビれてしまって。雷に打たれたような衝撃でしたね。人数不足から応援団が廃部になると聞いて、「この代で途切れてしまうのはあまりにももったいない」「自分がやらねば」と強く思ったんです。同級生に声をかけて入部してもらって、何とか存続させることができました。いまでも母校の渋川高校には応援団があるんですよ。あのときバトンをつなぐことができて本当によかったです。

政治への憧れと鬱憤を抱えていた高校時代、そして高円寺へ

──政治への興味はいつ頃からですか?

高校生の頃からです。元々政治は好きで、よくニュースや新聞を見ていました。当時だと、「消えた年金問題」が自分にとってかなり衝撃で。現在の「働き方改革」の審議の中で、厚生労働省が出してきたデータがめちゃくちゃだった件が大きく話題になっていますが、同じような衝撃を感じました。「行政がこんなことで日本はどうなっちゃうんだ?」と高校生ながらに危機感を抱いてしまって。だから、かつての民主党が政府の姿勢を厳しく追及する姿、自分たちの理念を掲げて立ち上がる姿を見て、すごく憧れた。でも、群馬はどちらかというと保守の方々が多い。選挙でもやっぱり自民党が強いし、僕の祖母もそうです。ただ、政策を支持したりイデオロギーに共感しているわけではなくて、何となく慣れで、とか地域のつきあいで、という感じなんですよね。そこに対する疑問や鬱憤みたいなものを感じていました。「政治は本来人のためにあるものじゃないのか、こんな政治が続いて日本は本当に大丈夫か?」と。

──周囲の反応はどうでしたか?

当時の友達は僕のそういう話を流さずに聞いてくれて、いま思うと友人に恵まれましたね。「そんなにもどかしく思ってるなら、お前が政治家になればいいじゃん」「政治家になって、“人のための政治”を実現しろ」と言ってくれたんです。もしかしたら友人は軽い気持ちだったかもしれないけど、背中を押されたというか、「まずはちゃんと政治学を学びたい」と思い、日本大学の法学部に入学しました。

──高円寺に住みはじめたのは?

上京と同時に住みはじめました。父も学生の頃東京に住んでいて、「高円寺は面白いまちだから、お前に合うんじゃないか」と薦めてくれて。実際、高円寺はすごく魅力的なまちで、すぐ大好きになりました。何代も続いているような八百屋さんや魚屋さんの隣に若い人が始めたかっこいい店があったりして、古いものと新しいものが、昔からいる人たちと最近住みはじめた人たちがうまく融合しているんですね。サブカルも盛り上がっていて、お洒落すぎることもなく、ちょうどいい。阿波踊りはもちろん、高円寺フェスといったお祭りもあります。おおらかに色々な人を受け止めてくれるまち、色々な人が輝けるまち。8年間で3回引っ越したんですが、全て高円寺内です。もう高円寺から離れられる気がしません(笑)。

大学で政治学を学び、政治の現場に飛び込んで

──大学ではどんな活動をしていたんですか?

3年生のときに政治研究会の代表になりました。でも同世代で、政治に関心を持つ人ってすごく少ないんです。だから、「政治のことはよくわからない」という人でも参加できるようなイベントを企画したりしていました。少しでも政治参加のハードルを下げられたら、という一心で。結果、前年度の二倍以上の新入生が加入してくれて、とても賑やかになりました。

自宅兼事務所の本棚には様々な本が並ぶ。学生時代から一貫した関心は、ICTによる行政の効率化と社会保障の再建だそう。

──関心のあった政策分野は?

ゼミは「比較政治学」を専攻し、地域包括ケアについて研究しました。東京は地方に比べて地域の絆やコミュニティが希薄なので、一人暮らしの高齢者をどう包括していくかが課題だと思って。ICT(情報通信技術)を使って孤立を防ぐシステムを考え、日本政策フォーラムで発表しました。卒論は世論調査を参考に、民主党政権の失敗を分析しました。失敗は失敗として認めて、次に活かさないといけませんから。

大学生時代のプレゼンテーション資料。仲間と徹夜をして作ったそう。

──その時からすでに現実の政治にも関わっていたと聞きました。

長妻さんの事務所に大学2年生のときから出入りしていたんです。最初はインターンとして、その後はアルバイトとして。長妻さんのことは高校時代に消えた年金問題を追及する姿を見て憧れていて、「隣駅に事務所があるんだ、それならとりあえず飛び込んでみよう!」と門を叩きました。地元の挨拶まわりに街頭演説、ポスター貼り、事務作業、国政報告会の運営…とたくさん勉強させてもらいましたが、「政治の現場は本当に大変だな」と心底思いました。ニュースや本を通して想像していただけではわからなかった世界が広がっていた。 長妻さんや先輩秘書から、「政治の役割は何か」と徹底的に指導してもらう中で、貧困や教育格差、行政の効率化といった自分の関心が、より具体性を帯びていった気がします。長妻さんからお誘いをいただき、卒業後はそのまま秘書に。

──進路で悩んだりはしなかったですか?

周囲からは「民間企業を経験したほうがいいんじゃない?」とも言われたし、当初は僕の中も迷いはありました。けれど、経験を積むためだけに就職するのはその企業にすごく失礼だし、なにより、尊敬する人の下で働いたほうが学べるものは多いと思い、秘書の道を選びました。

ブラック企業もパワハラも鬱も、20代にとって身近な問題

──今回立候補を決めた理由を教えてください。

前橋にいるときは、「東京は華やかで、豊かで恵まれていて」というイメージがあったんですよ。でも蓋を開けてみたら、ギリギリの暮らしをしている年金生活者がいたり、本来なら生活保護を受けられるレベルの人が、制度を知らず貧困に喘ぎながら何とか1日を凌ぐように生きていたりする。東京には東京の問題があるというか、都市型の貧困とでもいうべきものがあることを知り、何かできることはないかと考えるようになりました。

それと、自分が結婚したのも大きかったです。まだ夫婦ふたりですが、これから子どもができるかも、とリアルに想像したときに、「いまの社会は子どもに胸を張って受け渡せる社会か?」「このままの杉並区でいいのか?」と自問して、「そうじゃないな」と。それで、選挙に出ようと決心しました。若すぎると思われるかもしれませんが、若いからこそできることがある、若い世代の声をすくいあげて政治に反映できると信じています。

──若い世代の声というと?

僕の友人にも、労働条件が悪く、転職をくり返している人や、就職できずアルバイトでつないでいる人がいます。若いうちはアルバイトや派遣でもやっていけるけど、年齢が上がっていくと難しい。みんな真面目に働こうとしているのに、なぜ生きていけるだけの給料をもらったり、望んだ相手がいれば結婚したり、そんな一昔前だったら当然の願いさえ叶わないのか、という気持ちになります。これからの日本を背負う世代がこのままの状況では、日本という社会自体が危なくなってくると思います。

──若い世代の非正規雇用率は非常に高く、正社員でも過労死の問題などもあります。

ブラック企業も身近な問題です。終電まで働いて、ちょっと寝て始発でまた出勤する。社会保障もどんどん切り下げられる。追い打ちをかけるようにパワハラも受けて、心身を壊していく。でも、そんな劣悪な労働環境でも、働かなければ食べていけない、という現実がある。とくにいまの20代や30代の若い世代は、そんな感覚が普通になってしまっている。しかし、そうした状況が当たり前になってしまえば、みんなでその現実を変えようという気力さえ削がれていくと思います。こうした悪循環は、絶対に何とかしないといけない。

──現在国会で審議されている働き方改革や高度プロフェッショナル制度についてはどう思いますか?

まず法案の基づいているデータがでたらめで、それでも無理やりに法案を通そうとするのは、そもそも真剣に働く人たちのことを考えて審議する気があるのか、と感じます。過労死遺族の方々も疑問や反対の声を上げているのに、それを聞こうともしない。現在の与党の姿勢は、ほんの一部の大企業の利益を代弁するもので、働く側の権利や暮らしを守るものではないし、成長戦略としても間違っていると思います。国民を豊かにすることをせずに経済成長なんてできませんよ。まがりなりにも「保守」を名乗るのなら、なぜ国民が働きたくても働けない、あるいは苦しみながら働くことになるような政策を押し進めるのかと、憤りを感じます。愛すべき対象、守るべき対象は、国そのものではなく、ここで暮らす国民のはずです。

難しい制度をわかりやすく。必要としている人が、必要なときに使えるように

──今回の選挙で訴えたいことは?

社会保障制度はもっと、簡素でわかりやすいものであるべきものだと思っています。普通の人が普通に理解できるものじゃないといけない。ましてや、社会保障を必要としている人は、精神的に追い込まれていたり、何らかの障害を抱えていたりするケースも多い。そもそも制度があること自体が周知されていなくて、運良くアクセスできたとしても難解で理解するだけで一苦労、そして手続きは煩雑。だから制度はあるのに、必要な人に届かない。そんなのおかしいじゃないですか。

──貧困といえば、最近では生活保護課の行政スタッフを主人公にした漫画がドラマ化されるなど、関心が高まる一方で、バッシングに近いような声もあります。この問題についてはどう考えていますか?

生活保護だって、国が保障している権利なのだから、本当は堂々と使っていいんです。不正受給は問題ですが、それだって金額ベースで計算したら全体の1%以下。バッシングの声が高まることで、本当に困窮している人が使いづらくなってしまっては本末転倒です。誤解が生まれるのも、制度や紹介の仕方が難しいからじゃないでしょうか。

──子育てについてはどうですか?

子育て関連の制度も、「行政オタクじゃない限り知らない、わからない」というものが多いんです。多額の住民税を払っていただいているんだから、それに見合ったサービスが受けられるよう、しっかりと伝えないと。制度の難解さ、使いづらさは全国に共通する課題ですが、杉並区で先進例をつくって変えていきたいと思います。杉並区は待機児童ゼロ宣言をしていますが、区内で地域間格差があるのが実情です。杉並区は広くて、中央線、京王井の頭線、西武新宿線、丸ノ内線と4つの路線がある。同じ区内であっても、自宅から遠い場所に保育園の空きが出たからといって、現実的にそこに毎日送り迎えができるかというと、それは厳しい。住民目線で、本当に困っている地域に行き届くようにしないといけません。

──杉並区で積極的に関わりたい動きはありますか?

都市型の貧困や教育格差への対策として、金銭的に厳しい家庭のための学習支援サポートや子ども食堂に関わっていきたいです。熱意を持ったNPOの方々が取り組んでくださっていますが、運営は決して楽ではないという話を聞きます。民間だけに任せず、区からもサポートがあったほうがいい。志を持った現場の方々が動きやすくなるよう、働きかけていきたいと考えています。都市型の貧困というのは多くの場合、社会的な孤立につながります。だからこれからの行政は、もっと住民一人ひとりと向き合うものでなくちゃいけない。たとえば、区役所のICT化を進めれば、だいぶ仕事が効率化されるしコストも削減できるはず。機械にできるところは機械に任せて、区役所職員の方々には人にしかできない仕事に専念してもらえるような環境を作るべきです。

政治の役割は、国民一人ひとりの生活を良くしていくこと、特に政治を必要とする弱い人に光を当てること

──立憲民主党を選んだ理由をお聞かせください。

立憲民主党が結党したとき、すごくスッキリしたんです。真にリベラルな政党が誕生した、と。それまでは、地元で応援してくれているみなさんが求めていることと、政党の動きにズレが生じているように感じていました。でも、まさか立憲民主党のSNSがあんなに盛り上がったり、街宣に数千人集まったりするとは夢にも思わなかった。久しぶりに有権者とつながったような感覚です。それだけ、僕と同じように政治に対して行き場のない想いを抱いていた人が多かったということなんでしょうね。

──パートナーズ制度についてはどうでしょうか?

これは自分が秘書をやっていたから実感するんですが、いままでの後援会は、市民が候補者を応援し持ち上げる性格のものだったと思います。だけどパートナー制度は違う。市民のみなさんと一緒に肩を組んで歩いていく感じがする。走るにしても政治家と有権者が「伴走」するための制度なんじゃないかと。それが「ボトムアップ」という言葉の意味なんじゃないかなと考えてます。

──杉並区の有権者になにかあれば。

杉並でいうなら、地域のことは地域住民が決められるようにしたい。でも現状、区民施設でおカタい雰囲気の住民会議を行っても、ごく一部の人しか来ません。若い人、いままであまり政治に関わってこなかった人が関心を持ってくれるにしたい。いまの日本は、自分たちの暮らしと政治とが結びついているという実感が、圧倒的に足りてないと思うんです。とくに僕はまだ若く未熟ですから、杉並という場所で、パートナーのみなさんと対話し、ともに政治を作り上げていく経験によって、どんどん成長していきたいです。政治の役割は、国民一人ひとりの生活を良くしていくこと、とくに政治を必要とする弱い人に光を当てることだと思ってます。区民のみなさんが困ったときにすぐに相談できる存在になることを目指します。


関口健太郎 KENTARO SEKIGUCHI

1991年群馬県前橋市生まれ。群馬県立渋川高校卒業後、日本大学法学部政治経済学科で政治学を学ぶ。学生インターン、アルバイトをへて、2014年から長妻昭事務所秘書へ。働く若い世代と政治とを結びたいと考え、大学進学を機に上京して以来住み続ける高円寺で2018年春から政治活動をスタートした。2017年に結婚し、現在は妻と二人暮らし。